人気ブログランキング | 話題のタグを見る
千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史
八女の城跡を訪ねて    

8月29日(MS・TS・TKの3人)

左~唐尾(瀬高町) 山下(立花町)

2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_17415123.jpg2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_1742483.jpg


山下城跡(人見城)(八女市立花町北山)  標高140m     

山下の中村氏に白木川左岸を西方向に登り案内をしてもらう。

2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_17442836.jpg2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_17444297.jpg


左~山下城跡の一番高いところ(竹を切れば矢部川から北側方面の見通しできる。
右~山下城跡からの東側風景


2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_17475237.jpg2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_1748116.jpg


蒲池鑑廣墓(山下の後藤家所有地内)と後藤家

2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_1750273.jpg2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_17501753.jpg


本丸・二の丸の周囲は、いずれも35度を越す急傾斜面となり、なかなかの要害の地相である。

永正年間(1504-21年)、豊後の大友親政治(ちかはる)は、蒲池親広(ちかひろ)に命じ、山下に館を構えさせ、親広の嫡男志摩守鑑広(あきひろ)の時、当城を築き居城とした。

慶長6(1601)年、田中吉政が筑後国主として久留米に入国すると、この城は取り壊され廃城となった。

猫尾城跡(黒木城)(八女市黒木町北木屋)  黒木中学校の背後にある。

2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_1751176.jpg2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_17512756.jpg


左~城跡の地図   右~本丸跡(算木積み)写真

2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_1753337.jpg2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_17534254.jpg


猫尾城跡からの風景(左~南側 右~西側)

2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_17553918.jpg2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史_a0137997_17555816.jpg


猫尾城跡 県指定史跡 昭和58年3月19日

猫尾城跡は、福岡県八女郡黒木町の矢部川本流と笠原川が合流する付近にあり、戦略上、奥八女の要衝を占める中世の山城です。

通称「城山」と呼ばれ、「調山、「猫山」の別称もあり、文政8(1825)年に久留米藩士・村上量敏が著した『山土産』には、「この山、尾短くて、鉢を伏せたるがごとし」の記述がみえます。

資料によると、仁安2(1167)年、徳大寺家の請いにより、大蔵大輔源助能が瀬高荘を管理するため、大隈国禰寝(ねじめ)から筑後国上妻郡黒木郷に移り築城したという説が有力です。

これより黒木氏代々の居城として栄え、天正12(1584)年、豊後・大友氏の攻略により落城するまで、417年の長きにわたり、その役割を果たしてきました。



みやまいいまち会 下の詳しい内容が判ります。

今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。

私の目標   今一番大事なことは絆を育てること。

by kusennjyu | 2011-08-29 17:57 | 矢部往還
|Topに戻る