伝説 清水観音の「撫で仏様」
「撫で仏様」は、清水観音本堂の東側の崖の下にまつってあります。この仏様は今から約200年前
大城七右衛門の発願(はつがん=願いを起こすこと)によってできたものです。
七右衛門は、宝暦13(1763)年、山門郡北海津村(現在の三池郡高田町海津・現在はみやま市)に生れました。幼少のころより身体が弱かったけれども頭がよくて、利口な少年でした。
15歳の時、仏道(仏の説いたみち。仏教)を志し瀬高町下庄大竹にある由緒ある寺、二尊寺(にそんじ)に入門します。
病弱ながらも厳(きび)しい修行を積み重ね、住職の勧めにしたがい、托鉢行脚(僧が修行のため経を唱えながら鉢を持って家々をまわり、米やお金の施しを受けながら各地を歩きまわること)の旅に出ます。
筑後一円はもちろん、肥前(佐賀)、筑前(福岡)、豊後(大分)を巡礼しますが、とても苦しくてつらい旅でした。
旅を終えて故郷に帰りついた七右衛門は、仏様が迷い苦しむ人々を救い、悟りの境地に導いてくださるようにとの発願を立て、地蔵尊寄進を計画します。
この計画を聞いた
上庄の鋳物師、平井九郎兵衛尉(ひょうえのじょう=菅原重俊)は、喜んで賛成し、地蔵堂を作りあげました。
寛政元(1789)年5月吉日に落成式を行いました。しかし、この地蔵さんも雨ざらしであったため、善男善女(ぜんなんぜんにょ)の信者の皆さんが、お堂を建立したと言われています。
念願を果たした七右衛門は、その後も、二尊寺で修業を積みましたが、寛政7(1795)年4月27日、享年33歳の若さで当寺においてこの世を去りました。
七右衛門の死後、彼が残したお地蔵様は、これから後もなお「撫で仏様」として大衆信仰の中に生き続けることでしょう。
身体の痛むところを仏様を撫でた手でさすると、痛みをとってくださる「撫で仏様」は、優しいほほ笑みを浮かべながら、ますます光沢を増されることでしょう。
ふるさとの昔ばなしー瀬高の民話と伝説―瀬高町教育委員会発行より。
清水歴史散策3 清水寺・撫で仏様・三重の塔などが出ています。
みやまいいまち会 下の詳しい内容が判ります。
今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。
私の目標 今一番大事なことは絆を育てること。