坂本繁二郎の一生 9月15日午後訪問
坂本家の歴史
坂本家は摂津国(現大阪府)の出身です。田中吉政の家来になった一族は重職につき、慶長6(1601)年に筑後一国の大名となった吉政とともに三河国(現愛知県)岡崎から筑後に下りました。
その後、繁二郎の先祖は元和6(1620)年に田中家が断絶すると浪人しますが、新たに久留米藩主となった有馬家に正保2(1645)年、半兵衛義政が150石の知行をもつ御馬廻組として召し抱えられました。半兵衛義政から数えると繁二郎は9代目にあたります。
生家の位置
坂本家の屋敷地は侍小路である京隈小路にあります。この小路は元和91623)年に出来たもので、坂本家の屋敷地は京隈小路(きょうのくまこうじ)の南端にあたります。
坂本生家から南に広がる屋敷地は小松原小路(こまつばらこうじ)と呼ばれ、延宝5(1677)年に建設されたものです。
坂本家の屋敷地は表口18間、奥入25間、敷地面積は約450坪です。
坂本家の屋敷地の北西にあった秋葉社境内(現在は住宅と井戸があり一部駐車場になっている)や日輪寺の境内(階段を上がった正面に遊び場だったことが標記してあります。)は遊び場であった。
筑後川で吊った魚が晩御飯のおかずになる。筑後川や水天宮も近くである。地図で確認して下さい。
坂本繁二郎の一生
明治15(1882)年 久留米市京町に生れる。
明治19(1886)年(4歳) 父(金三郎)が亡くなる。
明治241891)年(9歳) 3月・久留米市両替尋常小学校を卒業(今の篠山小学校)
4月・久留米高等小学校に入学 青木繁と同級生
明治25(1892)年(10歳) 森三美(もり・みよし)先生に油絵を習う。

明治35(1902)年(20歳) 青木繁と共に絵を学ぶため東京へ行く。
明治42(1909)年(27歳) 東京で生活するため京町の生家を手放す。
明治43(1910)年(27歳) いとこの権藤薫と結婚。
大正10(1921)年(39歳) 絵を学ぶためフランスへ行く。
昭和6(1931)年(49歳) 久留米より八女の福島に移りアトリエを建てる。

昭和17(1942)年(60歳) 還暦を記念して二科展に作品を特別展示。
昭和31(1956)年(74歳) 文化勲章を受ける。
昭和44(1969)年(87歳) 八女の自宅で家族に見守られて亡くなる。
絵は坂本繁二郎の作品 放牧三馬 (石橋財団 石橋美術館蔵)
歴史散歩(NO32)及び、子どもたちへの贈り物の久留米市発行のパンフレットより。
みやまいいまち会 下の詳しい内容が判ります。
今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。
私の目標 今一番大事なことは絆を育てること。