人気ブログランキング | 話題のタグを見る
千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
民話 海津と鯰(なまず)・千寿の楽しい歴史
民話 海津と鯰(なまず)

数年前、山川町から分離して高田町に合併した2つの地区、竹の飯と、もう1つが海津です。

毎年、10月の水落の後の堀干しと、3月のゴミ掘りのとき、魚が沢山とれます。村人たちは、食べきれないほど取れた魚を、串(くし)に刺して炭火で焼き上げ、藁束に刺し、天井に吊り下げて保存食としています。

ところが、海津では鯰だけは絶対に食べません。折角とれた鯰を道端に放り出し、堀干しが済んでから、また水に放します。

ほかの魚は喜んでみな食べるのに、鯰だけは不思議に、食べるどころか殺しもしません。通りかかった人が、もったいながって、くれと言っても決してやりません。

しかし、面白いことに、人々がだまって持って行くのは見て見ぬ振りをして済ましています。自分たちは食べなくても、よその人の食べるのまで干渉しないのです。なぜ海津の人は鯰を食べたり殺したりしないのか、それは氏神様の御神体と深い関係があります。

その昔、氏神様が危ない命を鯰に救われたという古事によるものです。ここの氏神様は阿蘇内輪山、中岳の中腹に鎮座の阿蘇神宮の御霊(みたま)を分霊して祀ったといいます。阿蘇には12の宮があり、その第一番が建磐竜命(たけいわたつのみこと)です。

神武天皇の第一皇子、草ケ部吉見の命の御子、阿蘇都媛(あそつひめ)を妻として阿蘇に向い、国見山から行くてを見ると、広野の果てに大きな湖水が見えます。
火山灰が溶けてノロノロしたノロ湖だったそうです。

「この湖水を干せば、よい田地になり、十分な米も取れよう」と、命はこの湖水を干そうと思って、湖水の西の尻に回り、二度、三度、力いっぱい蹴(け)ってみたが、どうしても崩れません。よく見ると、火口の壁が二重になっています。今日、二重峠というところです。

今度は少し南の立野の上を一蹴りに蹴り破ると、スカッと穴があいて、ノロ湖の水はドウドウと流れ落ちました。今の数鹿流(しかる)滝というところです。

このとき、建磐竜命は、ノロ湖に巻かれ、危うく命を落すところでした。そのとき、1匹の大鯰が出てきて、命(みこと)を背中に乗せて助けたという話があります。

また一説には、翌朝、命(みこと)が湖水の跡を見ると、半分だけが水が引いていますが、よく見ると大鯰が真ん中に横たわって、あと半分は水がひあがっていません。

そこで今度は建磐竜命の鯰退治となり、ノロ湖は全く乾いて、阿蘇谷、南郷谷を連ねて東西16kmの火口原、草千里、内の牧、外の牧が出来あがったのです。

阿蘇の人々は、この神武天皇の孫であり、外輪山を蹴破って阿蘇谷開発の基を作り、農耕を進め、現在の阿蘇の繁栄をもたらした建磐竜命を阿蘇大明神として尊崇し、神慮を慰め、神徳にあやかろうとしています。

阿蘇神宮の祭神が、どういう経緯で海津の地に分霊されているか、そのうち、海津の古老に確かめようと思っています。

  「瀬高むかしむかし」松尾静雄著より。

昭和33年8月1日に町制を施行し、高田町となり、昭和34年4月に山川村大字竹飯、大字海津地区を編入しました。





みやまいいまち会   下の詳しい内容が判ります。

今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。

私の目標   今一番大事なことは絆を育てること。
by kusennjyu | 2011-09-26 04:58 | みやま市の民話と伝説
|Topに戻る