2011寶満神社奉納能楽(新開能)の案内・千寿の楽しい歴史

宝満神社奉納能楽(新開能)の案内

と き 10月17日(月)
じかん 午後3時始め
ところ 寶満神社能舞台
(福岡県みやま市高田町北新開)

車の方は、国道208号線の青い破線から入り約499mの駐車場に停める。赤い破線を歩いて3分です。
JR鹿児島本線で来られる方は渡瀬駅で下り、国道に出て、南側へ歩いて新号を福岡銀行の方へ曲り、駅から歩いて10分です。
電車の方は西鉄大牟田線の開駅で下り、赤い破線のように線路を越える方向へ歩いて3分です。
演目
一. 嵐山(能)
二. 萩大名(狂言)
三. 八島(能)
四. 笋(竹の子)(狂言)
五. 羽衣(能)
六. 狐塚(狂言)
七. 腰祈(狂言)
八. 船弁慶(能)
新開能の概要
福岡県みやま市高田町の宝満神社に奉納されている能楽は、昭和29(1954)年に福岡県の民俗資料として指定され、昭和51(1976)年、文化財法の改正により、あらためて面・衣装とともに無形民俗文化財として指定を受けました。
「農民能」として珍しく、民俗芸能としての価値があります。高田町の南北両新開地区の人々が長く伝えてきた素人能として、九州では貴重な民俗芸能の一つです。
農民や山村に伝承されている能楽は、日本では二十余地域があります。その起源はいずれも伝説的なものが多く、隠棲してきた都の公卿や武将、あるいは能役者が村人に教え、それを受け継いだ村人たちが土地の神社に奉納してきたというものが多いのです。
それに対し新開能は柳川藩の宝満神社奉納能に起源をもち、専門の能楽師が勤めていたものが、やがて農民の手へと移っていきました。
宝満神社は『南筑明覧(なんちくめいらん)』や『旧柳川藩史』によると、古代に筑前竃門(かまど)神社を勧請(神仏の分霊を他の地にまつること)したもので、中世にはすでに現在地に祀られており、一時荒廃していたものを立花宗茂が再興したことを記します。
とくに「寛永17年11月9日祭礼に猿楽能あり、その後例となし、美麗これを勤める。君公の代参社役これを勤める」の記述は、宝満神社に猿楽能が奉納されたことを記す最初の史料です。
すなわち、寛永17(1640)年11月9日に、藩主代参をはじめ寺社奉行、大庄屋、代官等の居並ぶなか、お抱え能楽師美麗が能を神前に奉納し、これ以後毎年の奉納能が定例化したということです。美麗とは平安時代末期より三瀦郡玉垂宮大善寺に奉納していた田楽師美麗のことです。
明治19(18886)年から20年代にかけて奉納能は新開の人々の手に委ねられて行くことなりますが、面や衣装をはじめ能の諸道具を立花家から拝借しなければならず、併せて種々の指導助言も仰がなければならなかったので、その移行は徐々にであったと思われます。
今日のように、新開地区の自主的な宝満神社奉納能が行われはじめたのは明治35(1902)年前後のことのように思われます。舞、謡、囃子それぞれに長老、師範格のもとに稽古に励み、ときには柳川やさらに遠方に指導者を求め精進しました。
新開能保存会が中心となりその技と心とが確かに新開の人々に受け継がれ、昭和23(1948)年5月には立花家から能狂言のちょうど一式530点を譲り受け、文字どおり新開独自での能の奉納がなされるようになったのです。
お問い合わせ先
みやま市教育委員会生涯学習会 0944-64-2165
みやまいいまち会 下の詳しい内容が判ります。
今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。
私の目標 今一番大事なことは絆 を育てること。