福島八幡宮を訪ねて 10月24日

八女福島の燈籠人形 重要無形民俗文化財
燈籠人形は延享元(1744)年に八幡宮放生会に奉納されたのが始まりで、当時は至って簡単な設備をなし燈火を点じ飾人形を陳列奉納したものであったが、次第に改良され飾付人形から棒、糸によるカラクリ仕掛けの人形を動かすようになったものである。
燈籠人形が郷土の民俗芸能として高く評価されるのは古い伝統だけではない。豪華な二階建の屋台が一本の釘や鎹(かすがい)も使わないで自由に組み立て解体できるようになっていて、この屋台の中で囃子にあわせて人形をあやつるもので、糸や人形遣いの姿は見えないのが特徴であり全国に例がないとされている。
屋台が出現したのは明和年間(1772年頃)といわれ、現在のようになったのは天保年間(1835年頃)である。
この屋台の二階には囃子方15人、人形遣いは横遣い、下遣いに分かれ、横遣いが東西それぞれ6人、計12人、下遣いは人形一体に6人を配し、その他背景係等総勢40人から50人が出演、囃子方の地唄につれて人形が踊るのである。
屋台の壮麗美と人形が舞うカラクリの精巧さは、まさに優雅で嘆賞久しうするものである。
八女福島の燈籠人形保存会の説明より。
偉大な地方文化人 松 貫嵐(かんらん)
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享保18(1733)年、紺屋町に生まれた。名は甚左衛門、この神社を創建した松延四郎兵衛の子孫で4代目福島組大庄屋です。
のち出奔して、大阪で福松藤助と名乗り豊竹座の人形じょうるり作者の筆頭となる。
晩年、帰郷sっし、カラクリを使って初めて人形を動かし、民族芸能「八女福島の燈籠人形の基礎をつくる。
神社近くの梅月庵に住み、医者・俳人としても活躍した。寛政8(1796)年没。

今年も2組の
十二単衣の結婚式を募集しています。八女の町並みを人力車に乗ってのパレードに参加します。

みやまいいまち会 下の詳しい内容が判ります。
今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。
私の目標 今一番大事なことは絆 を育てること。