草野の町並みをさるく 1
10月30日午前10時から午後2時 天気 雨 参加者 約35名。
SNKで第6回 久留米ん町探検隊として草野を計画まして歩きました。
中世の城下町で、江戸期には日田街道山辺の宿駅であり、いまだに街道の面影を残し明治・大正・昭和と続く時代においての和洋折衷の建物が残る、伝統的な町並みの草野をさるきました。
筑後草野駅(久大線)
草野(東部)の地図
雨の中の町をさるく
専念寺
楼門と鐘楼堂
西向山一心院 専念寺 浄土宗
JR久大本線筑後草野駅から西へ5分行くと、浄土宗の西向山専念寺があり、本尊は鎌倉時代の作で国の重要文化財である木造阿弥陀如来です。
開基は元久元(1204)年、持願上人といわれ、文政年中(1818~1830年)にらくらいのため焼亡、安政元(1854)年に本堂、庫裏を再建しました。
本堂は竜を一枚ごと描いた格天井や、朱、緑青、金泥に彩色された華麗な壁画など、目を奪うほどの見事な美術構成で「九州の日光」と称されています。また、前庭は小堀遠州の作といわれています。
四条天皇の天福元年(1233)(一説に元久元年)聖光上人の弟子、持願上人(源義兼の子)の開基といわれ、草野家最後の城主第19代家清の時、善導寺の僧清厳が再興したもので、「九州の日光」と呼ばれ、本尊の木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代の作といわれ、国の重要文化財に指定されています。
所在地 久留米市草野町草野258 電話 0942-47-0029
須佐能袁(すさのお)神社
楼門
上は、楼門に彫られている架空の動物の中から本物の動物を探しているところです。
楼門から出た鬼瓦の下に猿が彫られています。
須佐能袁神社拝殿と月弓社
須佐能袁((すさのお)神社と躑躅(つつじ)
通称祇園社で知られる。建久8(1197)年、平家討伐に軍功あった竹井城主、草野永平が勧請したといわれ代々城主の崇敬が厚く、草野家が豊臣秀吉の九州征伐のおり滅亡した後もこの町の氏神として祀り崇められました。
祭神は素戔鳴尊で、現在の神殿は明治19年に6年かけて歳月を経て再建された欅の権現造りで拝殿、楼門とともに調和豊な彫刻美を見せ、県の文化財に指定されています。
境内の前庭に池泉(ちけん)観賞式庭園が残っており、植栽された樹木のなかにキリシマツツジの古木をみることができます。
キリシマツツジは、現在多くの品種を持つクルメツツジの原種と言われています。
キリシマツツジは、江戸時代に15品種が明記されており、当地では、キリシマツツジ、紅キリシマ、ヒノデキリシマ、二重キリシマ、紫キリシマを見ることができます。
また、境内には、樹齢300年と思われるキリシマツツジの古木5株と他に多くのツツジの品種が見られ花を楽しむことができます。
所在地 久留米市草野町草野443-2 電話 0942-47-0531
鹿毛鶴之助邸
裏の道に突き当たったところまでが鹿毛家の屋敷です。
虎谷山 寿本寺 浄土真宗
天文元年(1532)草野家11代の城主、草野重永の二男永秀が剃髪、善宗と称し開基。
本尊は、寺伝よると安土桃山時代、現八女郡上陽町上横山(もと上妻郡北河内村上横山)八重谷の里正、大坪重勝が石山合戦に参戦、その偉功として顕如上人から阿弥陀如来を賞与され、のち当山に奉納したものという。
内仏は、開基以来の阿弥陀如来(旧本尊)九山木阿弥の作と伝えられる。
現本堂は、嘉永元年(1848)に再建されたものである。
山門は、鬼瓦に有馬家の家紋の一つ釘抜紋がみられ、旧久留米城の西ノ丸に築かれた「水の手御門」であると伝えられている。明治4年(1871)の廃藩置県以降に本寺に移築されたものであろう。
所在地 久留米市草野町草野397-1 電話 0942-47-0031
次回は草野歴史資料館へ続きます。
みやまいいまち会 下の詳しい内容が判ります。
今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。
私の目標 今一番大事なことは絆 を育てること。