筑後路を走る(各県対抗九州一周駅 11月1日午前10時15分頃 第2中継所(船小屋)
左~久留米ー船小屋 右~船小屋ー大牟田
第2中継所(船小屋)選手紹介 20kmを走ります。
左~宮崎県 右~福岡県
左~長崎 右~大分
左~鹿児島 右~山口
左~熊本 右~佐賀
左~沖縄 右~広報バス
船小屋温泉大橋
矢部川とホテル
保安林物語「天才の道」より
「木六、竹八、ヨシ九月、惣馬の首は今が切りどき」、これは元禄時代に柳川藩で流行った歌です。
木を切るなら六月、竹なら八月、ヨシなら九月が最高、惣馬の首は今が一番という意味です。
惣馬とは田尻惣馬といい、父惣助と共に矢部川堤防の大工事を行った偉大な技術者です。
彼は水量調査のため大雨で増水した矢部川を半切に乗り、上流から下ったと伝えられています。
人と田畑を守るには、これくらいの覚悟が必要といい、その考えで行う工事は実に厳しく昼夜を問わず食事も惜しむ厳しさ、下役人や人夫達は「鬼奉行」と呼び冒頭の歌に例えたものです。
しかし、その工事は立派なもので、堤防はより丈夫にするため楠と竹を植え、楠は堤防をしっかり固め、竹は万一水が堤防を越えた場合に、そのしなやかさで水勢を弱めるというものでした。
楠の「剛」と竹の「柔」という巧みな組み合わせなのです。約三百年前に活躍した天才技術者の遺産は、見事な楠の森「狐林」として、矢部川の水害防護、保健保安林として生きています。
大正10(1921)年の大水害の反省から、昭和4(1929)年に洪水に強い橋として、曲弦トラス形式の船小屋橋が架橋されました。
併せて、畑地だったところを掘り下げ、放水路とする開削工事が行われました。その工事によって分離した部分が、現在の中の島公園となっています。
幾多の大水害を乗り越えて
昭和28(1853)年
昭和28(1953)年6月25日、八女郡一帯を再び大水害が襲いました。橋桁上1m以上にも達する激流によって、近隣の橋が破損する中で、船小屋橋は微動だにしませんでした。その強固な勇姿は、永い治水の歴史の中にあって、人々に深い感銘を与えました。
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私の目標 今一番大事なことは絆 を育てること。