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千寿の楽しい歴史
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2011薩摩街道(篤姫街道)を行く(山川ー瀬高)・千寿の楽しい歴史
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薩摩街道(篤姫街道)を行く(山川ー瀬高)    

11月6日(日)午前10時~12時 天気 雨のち曇り

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山川市民センターで半田隆夫先生のスライドを使って説明(雨と道路での説明が危険であるため)。 左写真の真ん中が半田先生です。

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今回は歩くコースは「隈川鶴松の碑・面の坂・大根川」の1・1kmと「松延天満神社・松延城・満福寺」を歩き、残りのコースはブスの中から見ることになっています。

バス2台出発(1台は婦人クラブ会員・1台は一般参加者) この時は雨がやんでいました。

バスの中から「平家の塔(五輪の塔)・三里石)・太閤道」をみながら進む。

国道443号線から清水区への入口でバスを降りて歩きました。

面の坂を歩く

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処刑場跡(有志の方の看板・処刑場の位置を示したもの)   薄暗くて怖い場所です。

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忠義と悲しみの「坂道」における捕縛(ほばく)と処刑     半田先生の命名(説明は半田先生の分より)

場所はみやま市山川町西清水の「面の坂」

面の口・・・台地へ上がる坂道の麓附近 面の坂・・・長い坂道  面の上・・・坂の頂上

「面の坂」(「首切り坂」・「ハリモン場」)での事件

慶長7(1602)年7月10日の捕縛 7月11日の処刑

●本郷村 壇七郎兵衛  面の坂で磔刑(たっけい 磔(はりつけ)の刑
 
●松延村 樺島島彦左衛門  面の坂で磔刑(たっけい)磔(はりつけ)の刑

●父 壇大炊介(旧本郷城主・大庄屋)矢部川一本松の川原で斬首

●父 樺島式部(旧松延城主・大庄屋)面の坂で斬首(ざんしゅ)刀で首を切られること。

処刑の理由

旧主への糧食や金品の運贈発覚

●立花誾(ぎん)千代(肥後国玉名郡腹赤村庄屋市蔵宅寄宿)立花宗茂の妻

●立花宗茂(加藤清正の食客、玉名郡高瀬村清源寺)  

関ヶ原戦いで石田三成が敗れて、立花宗茂は領土を没収される。

瀬高(松延)から腹赤村(現在の熊本県長洲町)への道 大八で搬送した経路

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「面の坂」は薩摩街道を原町から北西に下る所にあり、両側は竹林が生い茂る鬱蒼とした小高い山であった。

今は開発が進み、その不気味さはないが、いくらかその面影を残しています。

江戸時代の初期の田中吉政の時に、関ヶ原の戦いで敗れ、加藤清正に一時預かりの身になった立花宗茂や誾(ぎん)千代姫に米や金品を隠れて仕送った罪で、松延村の庄屋の嫡男樺島島彦左衛門らが磔(はりつけ)の刑に処せられたところであり、昔から首切り坂と呼ばれています。

大根川を歩く会員と大根川のハゼの木

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大根川の伝説

その昔、土地の娘が大根を洗っていると「そこの娘さん、腹がへって困っておる。愚僧に大根一本恵んでくれまいか」と破れ笠をかぶり、ほこりまみれの衣をまとった旅の僧が頼んだが、そのみすぼらしい身なりを見て、娘は、家の中へ引きこもってしまった。旅の僧は「かわいそうな娘じゃ」と言って西の方へ去っていった。

翌朝、川を見てびっくり、流れているはずの水が干しあがっています。娘がお坊さんに大根をやらなかったことを打ち明けると、村の長老が「その人は行脚中の空海(弘法大師)とおしゃる偉いお坊さんじゃ」大根一本を惜しんで、困っている人を助けなかった村に、戒めを下されたのだろう。

村人たちは手分けをしてお坊さんを捜したが見つからず、少し離れたところに、きれいな水がわき出ているのを見つけた。これは空海和尚が恵んでくれた水じゃと言って、このわき水が出た地域を清水と呼び、川の名を大根川として、いつまでも旅人に優しく、そして水を大切にするように心懸けました。    (以上)

大根川の土手にはハゼの木が沢山植えられていましたが、切られてしまい、数本を残すのみです。

江戸時代はハゼの木から蝋を作り、大阪方面へ売られて藩の財政を助けていました。

国道443号線へ出て、再びバスに乗り「道の駅」まで行きました。

私は「道の駅」で降り、午後の「黒木瞳と八女市長のトークショ」へ行きました。

バスは松延天満神社まで行き、会員は降りて「松延城跡」から「満福寺」まで歩くことになっています。

再度、バスに乗り、「二里石」をバスの中から見て、山川町まで戻るようになっています。









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私の目標   今一番大事なことは絆 を育てること。









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by kusennjyu | 2011-11-09 05:34 | 薩摩街道
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