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薩摩街道を歩こう(府中宿~羽犬塚宿)2・千寿の楽しい歴史
薩摩街道を歩こう(府中宿~羽犬塚宿)2      10月30日     雨

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文は薩摩街道を歩く会実行委員の金子俊彦氏が何回も図書館などへ行き、まとめた資料を使わせてもらっています。ありがとうございます。

高良大社下宮社

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高良大社下宮社の祭神は、上宮(高良大社)と同じ高良玉垂命であり、創建も同じ履中天皇元(400)年、或は白鳳2(664)年頃と云われています。

しかし、天正14(1588)年、豊臣秀吉の九州遠征の際に、島津軍に攻められ、上・下宮とも焼失しています。

元和4(1618)年、上宮(高良大社)の神殿の造営があり、下宮社もそれに従って修理され、座主家の管理を受けるようになりましたが、時代が経つにつれて次第におちぶれて行きました。

その後、かなりの年月に渡り荒れ放題になっていましたが、安政3(1855)年、氏子の人達の手によって、元の神殿と拝殿の姿に修復され、今日に至っております。

えびす様

薩摩街道を歩こう(府中宿~羽犬塚宿)2・千寿の楽しい歴史_a0137997_7115966.jpg薩摩街道を歩こう(府中宿~羽犬塚宿)2・千寿の楽しい歴史_a0137997_7121288.jpg


御井町のあちこちにある「えびす様」は、旧府中宿の賑わいを物語っており、薩摩街道の中心地約1kmの路傍に13体の「えびす様」を見る事ができます。

ところで、「えびす様」は福の神(七福神の一つ)として、ひろく民間に信仰され、旧藩時代の町屋、街道筋でよく祀られている神様です。

神体は鯛を抱いた福々しい相好の像が一般的でありますが、異体のえびす像もあるようです。
狛犬のある「えびす様」も、何か珍しいような気がいたします。

石柱には「えびす様」を建立された方の名前が刻印されています。

大鍋屋

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府中宿は、薩摩街道の中でも当時としては往来賑やかな所でありました。

府中宿通りの中で、唯一しっくいの白壁となまこ壁の美しい古風な建物が残っています。

大鍋屋という屋号をもつ青柳氏宅で、他の場所で鉄鍋を製造しておられましたが、大正時代に56連隊に物資(野菜類)を納める仕事に変わり、第二次大戦後は質屋をされていたようですが、昭和53年に廃業し今日に至っています。

源正寺

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源正寺の開祖は、深溝源左衛門という下野国郷士であったが、流転の末、府中町において剃髪し、真宗大谷派に帰依し、天正9(1591)年に現在の永福寺の西側廃寺に寺院を開きました。堂は一軒で2間、3間の小さな萱葺でした。

江戸時代から源正寺は寺子屋を設け府中の子女の教育に尽くしました。しかし、明治23年、火災に見舞われ、同年現在の地に再建されました。

薩摩街道府中宿の町並み(大鍋屋・源正寺附近)

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府中宿南構口跡(矢取交差点附近)

府中宿の場合、南構口が矢取に、北構口が上町にあり、南構口は大小さまざまの石を間口2間、奥行3間、高さ7尺に積み上げた上に屋根をかぶせた番所が明治43年まで残っていたそうです。
しかし、同年南北両構口を解体して高良下宮社の石垣にそっくり再利用したそうです。

普通構口の内側、宿駅の出入口には防御的役割をもつ「枡形」と呼ばれるL字形の道がありますが、府中には見られません。

府中に枡形が設けられなかっいたのは、かなり古くから町の形態が出来上がり発展してきたので新たな道筋を造り変えるのが困難だったのではないかと思われます。

次回に続きます。










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by kusennjyu | 2011-11-13 07:56 | 薩摩街道 |Topに戻る