2011長谷健の『帰去来』を読む・千寿の楽しい歴史

長谷健の『帰去来』を読む
柳川の図書館にあります。
長谷健は、本名堤正俊。明治37(1904)年10月17日に柳川市下宮永に誕生した。
上京して浅草小学校などに勤務しながら、長谷健(はせ・けん)のペンネームで文学活動にいそしみ、昭和14(1939)年、35歳の時、『浅草の子供』で第9回芥川賞を受賞した。
昭和16(1941)年、教職を退いてペン1本の生活に入ったが、昭和19(1944)年、郷里柳川へ帰郷する。
昭和21(1946)年、柳川文化協会を発足させて会長となる。
白秋詩碑建設委員長となり、昭和23(1948)年に詩碑を完成させた後、翌年再び上京する。
昭和29(1954)年、東京日日新聞に北原白秋を主人公にした白秋3部作第1部『からたちの花』を連載する。
翌年新潮社より発刊。これを日活が映画化したことによって、柳川が全国的に知られることになり、観光柳川の名を高めた。名物の観光「川下り」は、この時から始まった。
昭和31(1956)年、第2部邪宗門』を出版。第3部の『帰去来』を執筆中の昭和32(1957)年に交通事故に遭い死去した。享年53歳であった。
『からたちの花』は白秋が19歳で柳川を出奔するまでの少年時代を描く。
『邪宗門』は初婚の妻松下俊子と結婚し、離婚するまで。
『帰去来』は、2度目の妻江口章と結ばれて、再起を期すところから始まっている。
(1)母と子と 麻布山善福寺付近での家族との生活。
(2)紫煙草舎 葛飾小岩での夫婦と小犬・カラスとの生活。
(3)赤い鳥小鳥 本郷動坂に移り、その後小田原へ移り生活する。
白秋の帰去来碑と長谷健文学碑 クリックすると拡大します。



長谷健文学碑説明文
長谷健は、明治37年柳川市下宮永町に生まれ、昭和5年上京する。
小学校の教員をしながら創作活動を続け、昭和14年の小説「あさくさの子供」で第9回芥川賞を受賞しました。
文学碑は豆腐好きの故人を偲んで四角な豆腐型の碑が昭和33年に建立されました。
碑面の題字は火野葦平の書で、碑裏面の撰文は劉寒吉によるものです。
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