宮崎兄弟生家&資料館を訪ねて 12月23日 晴れ 入場料 210円
宮崎兄弟生家 熊本県指定史跡

宮崎家の祖は筑前三笠郡宮崎村の住人で、のち肥前国佐嘉に移り鍋島候に仕えた。
正徳4(1647)年、正之が荒尾村に分家移住し、荒尾宮崎の祖となる。子孫は代々、細川藩に仕えて一領一疋の郷士の待遇をうけた。
9代長兵衛正賢の時、ゆれ動く明治維新の中で宮崎兄弟の行動は異彩を放った。
長兄
八郎は若くして熊本自由民権運動の先達となり文筆と行動にたけたが、民権党を率いて西南の役にたおれた。
民蔵は土地の天賦均享論を唱え百姓の使者と称して外国をまわった。土地復権同志会の設立後、土地の再配分運動に奔走したが失敗し、孫文の中国革命に参画することとなる。
弥蔵と滔天は人類平和の理想国家を中国に建設するため行動をおこしたが、弥蔵は病気のため横浜でたおれた。滔天は孫文を助け清朝転覆に成功し中華民国の建設をみたが、真の平和の日の訪れを見ずに大正11年12月6日、波乱に満ちた52年の生涯を終わった。
孫文は明治30年の秋に宮崎家に亡命し民蔵の土地問題に対する考えに深い感銘を受けた。大正2年3月19日に中国建国を終えて宮崎家の人々への感謝のため再び宮崎家を訪れた。日中両国の善隣友好とアジアの平和発展を考える場合、中国民衆のために生涯を捧げた宮崎兄弟の功は不滅であると言わねばならない。
宮崎兄弟資料館

資料館入口 内部は写真撮影禁止です。 兄弟別に展示してあります。

宮崎兄弟生家の座敷



生家の庭

宮崎兄弟の親族と孫文(大正2年)
明治30年、まだ草深い荒尾村を亡命客孫文が訪れた。滔天と綴った筆談の書や庭には孫文が親しんだ梅の古木、泉水、味噌蔵、それに滔天がシャムから持ち帰った菩提樹等がその頃の様子を偲ばせる。
近代日中交流史の原点であったこの家は、民蔵の没後、永く人手に渡っていたが、平成5年、市制50周年記念事業を期に荒尾市が整備し公開に至った。
宮崎兄弟資料館は、揺れ動いてやまぬ近代日本の在り方に全身で立ち向かった宮崎兄弟の生の軌跡を振り返るとともに、中国革命と孫文に関わる様々な資料に触れながら、日中の交流の発信地として、この貴重な遺産を生かしていきたい。
孫文が宮崎家を訪問した時の様子を再現
入場パンフレットより
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私の目標 今一番大事なことは絆 を育てること。