幸若舞上演「和泉ケ城(三)」(青年) 1月20日 大江八幡神社
藤原秀衡が死んだ後、秀衡の子どもの5人の兄弟に鎌倉より判官討てば関東の5ケ国を与えようという。
5ケ国を給わって、5人して知行せんんと申す。その中に三男の和泉の三郎は1人城に籠って戦う。
残る4人の兄弟は和泉の三郎を攻める。
上から順に「シテ」・「太夫」・「ワキ」です。





上の写真は「太夫」の動きです。
動画(和泉ケ城・三 2本)
2・大頭(だいがしら)流の起こり
2代直茂の弟子に山本四郎左衛門と言う北面の武士がいて天性異相の大頭で、音声も大きかったので、世人は「大頭」と呼んでいた。(一説には家紋が大柏2枚重ねてあったことから、その一流を大柏流といっいたので大頭は大柏の誤りともいわれている。)
その弟子に百足屋善兵衛と言う京の町人があり、後柏原天皇の御召により立舞を上覧に供した。その高弟で同じ京の町人大沢幸次が天正10(1582)年、筑後山下の城主蒲池鑑運の招きに応じ藩中に教授した事が伝えられている。
山下城主が大沢幸次を招いて以来臣下にもこの舞を教えた為、達人もでた。なかでも下妻郡溝口に住んでいtsいた元蒲池家家来田中直久の子直種という人は文武に秀でて、和歌音曲などの諸芸に達し、この舞はさらに六番を加え、四十二番とした。
直種はその子、直俊に伝えその後数代に伝え天明7(1787)年正月、大江の住人松尾平三郎増墺に伝えて以来今年まで二百数拾年(225年)大江に存在し、現在30代家元松尾正巳清平に至っている。
幸若舞保存会資料より
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