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千寿の楽しい歴史
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幸若舞上演「高館(下)」(成人)・千寿の楽しい歴史
幸若舞上演「高館(下)」(成人)    1月20日   大江八幡神社

太夫・シテ・ワキ・鼓方(30代家元)の順です。

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動画(3本)







3・幸若舞の盛衰

諸芸が次第に座を組織して行く結果、幸若舞も曲舞(くせまい)の一分派として世に認められる専業団体となっていく。

今までの越前国内に活動範囲がとどまっていた幸若舞は人々の増加、交通の発展などにより地方より都市に進出し、その勢力を拡大して行く事になる。その時期は中世末期(15、6世紀)が特にいちじるしく、幸若舞が中央に進出するのが激しかった時期である。

それは丁度、猿楽が室町幕府の寵愛を受けんがために大和四座で競った様に幸若舞もそれらの良きライバルとして現われて来たことを意味する。

越前西田中村の天王川の畔りで何代にもわたる長い間、ほそぼそと演奏活動を続けて無名の芸人で終わるかと思われていたのであるが時代の流れと共にあかるみに導かれることになったのは幸せな事であった。

この舞が、一般民衆や貴族たちからさかんに人気を得た事は、西園寺公名の記録「菅見記」からもうかがい知ることができる。そのことは嘉吉2(1442)年5月の条に当家に招かれて幸若舞(曲舞、2人舞い)を舞ったことが記してある。

この資料により決定的な成功を収めている事を物語るのである。また「康富記」の宝徳3(1451)年3月7日の条に「晴。千本炎魔堂越前香(幸)若大夫舞曲舞不慮被誘引人間了」とあり、又、「宣胤卿記」にもさかんに舞っている様子が記してある。

全盛期は戦国時代から江戸初期であった。信長の幸若舞を愛好したことは有名で、秀吉や家康らもまた幸若舞を庇護した。江戸幕府は時代によって多少差があるが、越前幸若五家に合わせてほぼ一千石の扶持と旗本待遇を与えた。これは明治4年まで続いた。

人気が出ると共に民衆の芸能「幸若舞」が公家や武士たちのために舞うようになり、その保護者たる権門勢家の没落と共に幸若も今日の様な姿に変わったのである。

この幸若舞は我々の遠い祖先の文化遺産である。700年の伝統をもつ幸若舞を我々の力でいつまでも未来のために守りぬかねばならない。

                                    幸若舞保存会資料より









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by kusennjyu | 2012-01-25 17:59 | みやま市の文化財
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