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千寿の楽しい歴史
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2012はな丸・大吉のなんしょうと?・みやま市を訪ねて・千寿の楽しい歴史
はな丸・大吉のなんしょうと?・みやま市を訪ねて     2月24日放送(テレビからの写真です)

みやま市紹介

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玉水酒造を訪ねて   高田町舞鶴  山下酒造

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3月11日(日)、蔵開きがあります。 皆さん、おいでめせ。まっとるばんも。

5代目   山下茂さん

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酒の紹介

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酒蔵の紹介

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九州平家伝説の里の紹介(山川町・高田町)

要川

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坂梨さん(母と従兄弟です)の説明   祖母の実家(高田町亀谷の平地区)で現在は高田町原に在住。

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毎年4月に現人神の祭りが行われますが、祖母の実家が世話しています。


民話と伝説    平(でーら)の現人(あらびと)神様
 
源平最後の決戦場、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の一部は九州へと落ち延びたが、勝ちに乗じた源氏の追撃は厳しく、怒涛の如く追う手をゆるめなかったる 築紫から筑後へとのがれた平家は、山門清水寺の僧兵をはじめ郷土の援助に暫く力を得て飯江(はえ)障子 ケ岳の麓、要川(かなめがわ)一帯に布陣して物見塚(山川町)に兵を置き最後の一戦を交えんと待機した。

 雲霞の如く打ち寄せる源氏の大軍の前には勝つ術もなく、たちまちにして戦列は乱れ、川原は屍でうまり、流れはみるみる血に染まっていった。 刀折れ、矢尽きて、最早これまでとある者は腹を切って果て、ある者は山奥へ、川下へと命からがらに落ち延びていった。
 
 そのなかで、障子 ケ岳の森深い谷に身をひそめた平家の一族は、相続く敗戦で離ればなれになった肉親や一族の安否を按じながらも、追手の厳しさに身じろぎすらままならず、昼間は森にひそみ、暗くなるのを待って食べ物を探しに山を下りる有様で、里人に会うことも避け、不安な毎日を過ごした。

かくして数年が過ぎ、ようやく追手の姿が薄らいだ頃になって、次第に里人とも言葉をかわすようになった。しかし、平家と名乗って密告されるのではないかという不安は消えることはなかった。

見知らぬ人じゃが、あんたは何ちいいなはるか?

 「わたしは坂無といいます。上方から来たもので何もわかりません。よろしくお願いします。」顔立ちといい、挨拶のしぐさといい気品のただよう姿は、誰がみても育
ちのよさはかくせなかった。

 「坂無」という意味は、坂がなくて平(ひら)たいということで、大へん頓智のきいた返事をしたものである。後日になって、坂無よりも坂梨という文字を使うようになったらしい。

 おいおいと里の生活になじんだ頃になって、小さな石の堂を建てて、病死した者をはじめ、要川合戦で戦死した者、壇ノ浦で入水した平家一門の霊を慰め冥福を祈った。

 今日、亀谷地区に「平(でーら)」という集落があり、20戸のうち18戸が坂梨姓を名乗っていて、毎年4月16日を定めて家族揃って石堂に参り、法要が営まれている。

 今在る「現人神(あらびちがみ)」は、大正7年(1918)頃までは、これより東約百米余り下った場所にあった。又、石堂裏の三基の墓石は、あちこちに散在していた墓石を、ここに移したのである。


 この「現人神」の記録については、明治初年頃に流行した廃仏毀釈の運動の際に、総ての記録を焼き捨てたので、一片の記録も残されていない。ただ人々の口伝えとして伝わる他にはその証しはない。

 又、次のような話も残っている。

 要川の合戦に敗れて、待居(まちい)川(要川の別名、源氏が攻めてくるのを平家が布陣して待っていたので、この名前がつけられた)の川副いに奥の方へ逃げのびた七人の女官がいた。

 この女官達は身も心も疲れ果てて、最早これまでと滝壷に次々に身を投じて果てたという。その滝を「七霊の滝」といい、滝の側に「七霊宮」がある。

 女官はその後、鯰に化身したと伝えられ、平の里人は今も「なまず」を食することがないということである。

                                    高田町の民話と伝説より










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 「西原市長定例記者会見&人生悩んだら「日本史」に聞こう」  白駒妃登美さんが講師です。

「木蝋の里の魅力伝える」

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 『「ちくごの手仕事」という本の発行』  みやま市の和ろうそく・線香花火が載せられています。

「菊美人酒造酒蔵開き」

私の目標   今一番大事なことは絆 を育てること。

by kusennjyu | 2012-02-25 09:52 | みやま市の歴史
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