いっこく堂トークショーを聞いて(続き) 3月9日 大牟田文化会館にて
中学時代に父親に、高校卒業したら、東京に上京することを話し、親の承諾を得る。
高校時代は何かしなければと決意して、ものまねを始める。
校長先生や生徒指導の空手の先生のものまねをしたら、生徒から受けて、ものまねに自信を持つ。
高校卒業後、『池中玄太80キロ』の影響を受けて俳優を志し、
日本映画学校(現・日本映画大学)に入学する。
同校卒業後、1986年に劇団民藝に俳優として入団する(23歳)。
劇団の宴会の場で腹話術を披露したところ、民藝の中心俳優・米倉斉加年から腹話術師への道を勧められ、海外留学し修行を積んだ。
エピソード
片手あるいは両手に人形を持って腹話術をする。たまにコップなどを使って腹話術をすることもある。
歯が1本欠けているので声が歯の隙間から出るため、唇を全く開けずに声を出すことが可能である。
破裂音も難なく発することが出来る数少ない腹話術師(本人曰く、破裂音を発する際に必要な下唇の代わりに舌を使っているという)。
人形の声を入れ替えたり、唇が動いた後に声を出すことも可能である。英語も堪能で、アメリカでも口演した。
腹話術 = 高音」というイメージを破る自在な声と地声での腹話術の喋りは、毎日鏡に向かい練習した賜物。時には口を切り血まみれになることもあった。
「腹話術でパ行を出すことは不可能」とされてきたが、いっこく堂は難なくパ行を出すことができ、言語学の常識を覆した。「舌で(パ行を)できるかなと思ったのは腹話術を始めて3年目、それから練習して4年かかっている。」と答えている。
舞台公演等で通常ならマイクを用いて声を拡声させるが、マイクを一切使わない舞台公演を行ったこともある。
マネージャーの小久保隆也は、プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの小久保裕紀の実弟で、智弁和歌山高校で投手として1年夏、3年夏に甲子園に出場している。
本人初の作詞作曲・世界の人々へメッセージソング「生きてるだけで それだけで」を師匠と歌う。
師匠 玉城より100歳年上(1863年5月27日生まれで148歳)の老人。
姓が師、名が匠という設定。
経歴
1982年 : 沖縄県北谷高校卒業後、上京
1986年 : 劇団民藝に入団し舞台俳優へ
1992年 : 劇団を休団し独学で腹話術を開始
2000年 : ラスベガス「世界腹話術フェスティバル」でオープニングを飾る
全国ツアー「ボイス・イリュージョンツアー」がスタート
2001年 : ストラヴィンスキーの音楽劇「兵士の物語」(パルコ劇場)
2002年 : チェーホフ「くしゃみ」(新国立劇場)
2003年 : 全米ツアーを開始(NY、BOS、CHI、DET、LA、など)
2004年 : 第6回中国上海国際芸術祭にて中国語で上演
2005年 : アジアツアー(上海、香港、台湾、フィリピン、シンガポール、マレーシア、タイ)
2006年 : ヨーロッパツアー(英、仏、独、蘭、など) シドニー公演、ジャカルタ公演
2007年 : ブラジル公演、上海公演、ハワイ公演
賞詞
「平成11年度文化庁芸術祭」新人賞受賞
「第16回浅草芸能大賞」新人賞受賞
「第37回ゴールデン・アロー賞」芸能新人賞受賞
驚きと感動をありがとう。
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私の目標 今一番大事なことは絆 を育てること。