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千寿の楽しい歴史
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2012久留米市津福本町周辺の歴史・千寿の楽しい歴史
久留米市津福本町周辺の歴史     

宮原典子さんへ贈る。


久留米市津福本町周辺の歴史  

3月24日に宮原典子さんに聞いた話に基づいて編集しました。

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津福地像菩薩由来沿革

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三瀦の御家人横溝氏は、文永の役・文永11(1274)年と弘安の役・弘安4(1282)年、蒙古合戦の勲功により恩賞地として九州談議所より正応元(1288)年、安武荘を拝領し、安武に「有久山・長谷寺」を開基いたしました。

「その本尊が地蔵菩薩像です」お姿は僧形求法の像で檜木寄、木造り高さ82cmの延命地蔵であります。胎内に慈覚円仁大師の筆法があり平安初期、承和5(838)年、慈覚円仁大師渡唐に際し2年間大宰府に滞在されましたが、筑後巡錫の砌造像されたものと思われます。

降って戦国の世となり、天正5(1577)年、安武海津城を肥前竜造寺武将「横岳種次」の攻撃するところとなり安武海津城落成する。

城主・安武安房守戦死、」その邑も長谷寺も戦火により焼き亡び、その本尊は兵火を逃れ当地の津福に難をさけたのであります。

その後、数々の霊験あらたかな事が口伝えとして残り田中兵部大輔公初め代々の久留米城主も手厚く祀ってこられました。

今般、堂宇の損傷甚だしく町民一同畏敬の念、禁じ得ず有本志の方々の浄財等壱千数十萬を以って本堂を改築致しました。ついては本堂の由来を得度し願わくば地蔵菩薩の永遠のご加護を記念して止みません。

 平成7年3月吉日     津福町管理委員会
     
大川鉄道

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大川鉄道の手により、久留米市と城島町(現在の久留米市の一部)、大川市を結ぶ軽便鉄道として建設された。旅客のほか、城島町で生産される酒や大川市で生産される家具、畳表などの貨物輸送が目的であった。久留米市内の起点は国鉄久留米駅に近い場所にある上久留米駅であった。

•明治40(1907)年、大川町から鳥飼村までの18.5kmが大川軌道に下付
•明治42(1909)年、大川軌道設立
•明治44(1911)年、社名を大川軽便鉄道に改称
•大正元(1912)年、 縄手(後の上久留米) ―若津間が開通
•大正2(1913)年、 大川鉄道に改称
•大正10(1921)年、津福駅開業
•昭和26(1951)年、 上久留米線廃止
•昭和41(1966)年、 大川線廃止
上久留米-榎津間19.8km (上久留米-津福間2.4km)

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下久留米駅」は鳥飼小学校の東付近に、「終点上久留米駅」は縄手ガード下過ぎて豆津橋方面への道の交差点付近にあったようです。

久留米市縄手町から城島を経て大川へ走っていた大川鉄道は、小さな蒸気機関車が客車と無蓋の貨車を4,5両連ねてポッ・ポッ・ヒューと汽笛を鳴らして通るので、愛称ポッポ汽車とよばれてしたしまれました。

久留米津福本町周辺の歴史  3月24日に宮原典子さんに聞いた話に基づいて編集しました。

田中道  上の地図を参照

県道の23号沿いの津福本町の小林歯科の前の追分から北西に進路をとり、湯ノ尻川に架かる「女橋(おんなばし)」と金丸川に架かる「男橋(おとこばし)」を渡って津福本町の集落を抜けると、「田中道」は梅満町の集落に入ります。

そして、この道は、鳥飼小学校の前通りを経て、ふたたび県道23号線に合流します。

女橋・男橋

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これだけを見ると何だかロマンチックな橋のように思えるが、実はとっても悲しい橋なのだそうな。

このあたりは昔処刑場で、男橋女橋とあるのは刑に処される男はここまで、女はここまでと決められていた。橋のたもとで家族と引き離され、そして刑場に向かい刑に処される。

そこは一本の川が二本に分かれる場所で川が分かれる三角形の頂点近くの所は草がぼうぼうと生えていた。分かれたところは工事現場のようになっている。近くに池青寺というお寺があり、お地蔵さんがお祭りしてあった。その昔刑の執行が終わり、罪人の遺体を安置してお経をあげたのだろう。刑場跡は今も荒地である。

池青寺弘法大師堂

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「田中道」をゆく(久留米市編)    クリッックして見て下さい。

宮原オート商会  来店をお待ちしています。

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良い品物を他の店より安くしています。奥さんの笑顔が素敵です。気楽にお立ち寄り下さい。









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by kusennjyu | 2012-03-26 05:39 | 筑後地方の観光と魅力 |Topに戻る