田中吉政の支城めぐり(久留米城) 久留米市篠山町 4月7日 天気 晴れ
筑後川沿いの小高い丘にある久留米城は、高良山勢力が高良山の支城として永正(えいしょう)年間(1504~21年)に築いたのが起源とされる。
天正15(1587)年、豊臣秀吉の九州平定後の九州国割(くにわり)により毛利秀包(もうり・ひでかね)が入城し、城郭を整備した。秀包は関ヶ原の戦いで西軍に付いたため毛利輝元が移封(いほう)された長州へ移った。
田中吉政が筑後国主として入ると柳川を本城に、この久留米を第一の支城にし、二男の吉信(則政)を配した。
吉信は、長男の吉次が九州に来なかったため、嫡子に立てられた。16歳で久留米に入城した。
武芸を好み、愛刀を帯びて鷹狩りなどに山野を駆け巡った。
ある日、罪のあった師範役を手打ちにした時、自らも自分の刀で太ももに深手を負い、それがもとで破傷風が悪化し、逝去した。慶長11(1606)年正月のことと言う。わずか21歳だった。
遺体は柳川の宗安寺(そうあんじ)に葬られた。近習(きんじゅう)の士11人が殉死したと伝えらる。
宗安寺は改名し、現在は玉樹院(ぎょくじゅいん)(蟹町)となる。墓地には五輪の供養塔がある。
「道雲(どううん)大居士」と書かれた位牌が、この玉樹院と、直系の田中至(いたる)家(三井郡北野町)にある。
久留米城は慶長20(1615)年の一国一城令で破却されたが、元和7(1621)年に丹波福知山から入封した有馬豊氏(とようじ)が10年かけて修築し、11代250年の有馬氏の居城となった。
『筑後国主 田中吉政・忠政と その時代』半田隆夫著(田中吉政顕彰会発行)を基に作成する。
久留米城後を訪ねて・千寿の楽しい歴史 平成23年9月15日 クリックして見て下さい。地図の番号で案内しています。
太鼓櫓跡(南側)から南西方向を撮る 西側に筑後川と遠景に肥前国の山々。
月見櫓跡(東側)
艮(うしとら)櫓跡(北東側)から筑後川を見る。
篠山神社(久留米城本丸御殿跡地に建立)
石垣などが残り、往時をしのぶことができる久留米城址で。
次回は有馬記念館の中の久留米城模型や地図などを紹介します。
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