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千寿の楽しい歴史
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2012田中吉政の支城めぐり(松延城)・千寿の楽しい歴史
田中吉政の支城めぐり(松延城)  

みやま市瀬高町松田 平成23年調査

松延城跡附近地図   赤字は小字名です。  地図は永尾良一氏提供。

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九州戦国末期の天正12(1584)年、上蒲地氏の居城である上妻郡(かみつまぐん)山下城(城主・蒲地鑑広=あきひろ)が佐賀の竜造寺に攻められた時、支援するために松延城が築かれた。

天正15年、豊臣秀吉の九州平定後、立花宗茂の領有となり、関ヶ原の戦い後に田中吉政の支城となった。城代は家臣の松野主馬(しゅめ)であった。城の規模は南北72m、東西90mで櫓などがあった。

場所は、瀬高町から山川町へ向かう国道443号の満福寺より東へ300m入る。高速自動車道みやまインターにつながる新道のすぐ北側にある。周囲は田んぼで、城跡はうっそうとした藪となっている。

城跡一帯には本丸、二の丸、三の丸、城内などの字(あざ)名が残っている。

『筑後国主 田中吉政・忠政と その時代』半田隆夫著(田中吉政顕彰会発行)を基に作成する。

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つわものどもが夢の跡を思わせる、うっそうとした城跡。周囲は田んぼ。東側に松延天満神社があります。

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瀬高町松田地区に天正12(1584)年に樺島式部が築城したものです。

その後、田中吉政時代に松野主馬によって造営され1万2千石の格式を持った城だったという。

城郭地域では、本丸、東二の丸、西二の丸、南三の丸などの小字名があり、現況がそのまま残されて当時の武家の存在が想像できます。

松野主馬とは関ヶ原のときに小早川秀秋の先頭隊長として鉄砲隊を率いたが、秀秋が徳川に味方する命令を下したとき「俺は徳川と戦うために参加している」と言って戦線離脱をした男です。

吉政は小早川との軋轢を覚悟の上で、彼を男の中の男と見込み家臣団の中では最高の石高を与えて松延一帯を治めさせました。

元和元(1615)年、一国一城令により廃城となりました。

松延天満神社

当神社は松延城跡の東方、東三の丸にあり、永禄から天正にかけての戦火にあい、旧記、蔵宝などは殆んど焼失したと言われています。

それまでは、余程の大社であったらしい。現在、社宝として銅鏡1個、短刀2本、掛け軸一副が残っています。
掛け軸は小さく、損傷がひどく、昔、戦国の武将が、神社に寄進した「祈願文」のようです。

次は猫尾城を紹介します。









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by kusennjyu | 2012-05-11 05:08 | みやま市の歴史
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