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千寿の楽しい歴史
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2012溝口(筑後市)の和紙作りの歴史・千寿の楽しい歴史
溝口(筑後市)の和紙作りの歴史    

筑後市教育委員会展示より

以下は古川小学校生徒作成展示品です。

約四百年前、日源上人が和紙作りを伝えて以降、筑後は溝口地区を中心に和紙作りが盛んでした。

矢部川の清流や、原料となる楮(こうぞ)などが豊富にあるため筑後では良い和紙を作ることができました。筑後の手すき紙は昭和47年に県の無形文化財に指定されています。

現在、市内では伝統の技を伝えているのは、残念ながら猪口亮さんだけになりました。

今回の展示では、筑後市における和紙作りの歴史と井口亮さんの活動を中心に紹介しています。失いつつある筑後の文化財を今一度ふり返って頂けたら幸いです。

最後に、今回の展示にあたって協力をいただきました猪口亮さんならびに古川小学校の皆さんに暑くお礼申しあげます。

筑後市教育委員会   社会教育課

福王寺と日源上人の墓

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日源上人と福王寺

今から約400年前の文禄4(1595)年、全国を歩いて修行していた日源上人は、溝口地区にやってきました。

当時、この地区の農村が貧しい様子を見て、なんとかしたいと思った日源上人は、この地の山中にある豊富な楮(こうぞ)と、矢部川の清らかな水の流れを使って、この地に紙すき業を伝えることを思いつきました。

そして、故郷の越前から3人の弟を連れて溝口に戻って来ると、4人は福王寺に作業場を設け、村人たちに紙すきの技術を教え広めていきました。

ここに、九州の地に初めての紙が生産されたと伝えられています。

和紙作りの図

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和紙作りの工程

①楮(こうぞ)を調達 楮を植え育て、皮をはぎます。

②かごふみ 表皮(あたがわ)をはぎます。

③楮こさぎ 目を取り除きます。

④楮たたき 楮の繊維を煮て柔らかくします。

⑤楮洗い 楮についているゴミを取ります。

⑥楮打ち 楮を叩いて繊維を分離させます。

⑦ビーター掛け ビーター(混ぜ合わせる器械)に楮の繊維とパルプ。古紙を入れ混ぜ合わせます。

⑧攪乱機にかける。 攪乱機にかけて楮・パルプ・古紙を水の中でかき回し繊維をバラバラにときます。

⑨紙を漉(す)く 原料(楮・パルプ・古紙)と糊(のり)を混ぜ、御簾(みす)ですくい取ります。

⑩圧搾(あっさく) 圧搾機にかけ、湿床(しと)=漉いた紙)の水分を取ります。

⑪天日(てんぴ)干し 乾燥するまで天日干しします。

猪口亮さん 昭和7(1932)年1月16日生まれ。(現在80歳)

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終戦後、20歳の時に福島商業試験場で1ケ月通い、和紙作りを習得しました。猪口さんで4代目になります。

終戦後すぐの溝口地域は、100軒ある内の80件が和紙工場でした。和傘の原料として生産されていた和紙は、コウモリ傘(現在よく見る鉄筋に布を張った傘)の登場で、和紙の需要がなくなり、2~3年で工場は5軒に激減しました。猪口さんの家1軒だけになって40年が経ちました。

丈夫で厚い特徴を持つ溝口和紙は、酒蔵で酒樽の『目張り紙』として使われています。猪口さんの和紙を使う酒蔵は、九州各地にあります。この和紙は器械で作るのは不可能とのことです。

溝口地区の紙生産(1)

時の柳川藩のお殿様であった立花宗茂は、溝口で作られた紙を御用紙(藩で使う紙)として、たくさん作るように勧めました。

藩の好みや希望に合わせて、紙を作っていたことから、種類が豊富な溝口紙の特徴が生まれました。

日源上人は、藩から、群中の楮や、紙すきの道具、寺領を与えられたり、年貢を免除されたりと、手厚い保護を受けました。また、藩の御用紙係を命じられました。

以来、紙すきは、お殿様が代わっても藩の保護を受け続けました。

こうして日源上人によっいて伝えられた紙すきは、溝口から、周囲の村々、九州各地へと広がって行ったのです。

参考 立花宗茂(関ヶ原戦い前)→田中吉政(関ヶ原戦い後)→有馬藩(久留米領)と代わります。

溝口地区の紙生産(2)

その後も、溝口は、和紙作りの村として栄え、村人の暮らしもだんだん良くなって行きました。

明治時代には溝口地区の紙生産戸数は300戸、矢部川流域では、2300戸にも及びました。

こうして、この地の紙作りが「水田傘」や「福島提灯」など、数多くの伝統工芸品を生むきっかけになって行ったのです。

しかし、昭和の始めは盛んであった紙作りも、西洋紙の流通や、時代の流れにおされ、景気が悪くなり、昭和27年頃には5・6軒にまで減ってしまいました。

昭和47年、筑後の手すき和紙の技術は県の無形文化財に指定され、現在、筑後市内では生産者が1軒になってしまいましたが、今も尚、紙すきの伝統を守り続けています。

以上です。ありがとうございました。

伝説 九州紙漉(す)きの始祖“日源”と矢箇部兄弟

和紙の歴史を訪ねて(筑後市)

瀬高に手すき道具の残る家(みやま市)

以上の3件を参考に開いて見て下さい。








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by kusennjyu | 2012-05-15 05:14 | 筑後地方の観光と魅力
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