2012宮川早生温州みかん発祥の地(柳川市)・千寿の楽しい歴史

宮川早生温州みかん発祥の地(柳川市)顕彰碑
読本 旧柳川 柳川山門三池教育委員会編
昭和41年2月1日発行より
現在、早生温州みかんの一種として広く普及している「宮川早生」の原木の発祥地で、顕彰碑が建立されています。宮川早生は味の「まろやかさ」が特徴の温州みかんで、1910年頃に福岡県山門郡城内村(現柳川市)の宮川謙吉邸にて発見された枝変わりを、 1925年に田中長三郎が発表しました。育てやすく収量性が良いなど優れた特徴を持つため、古くから全国的に広く栽培されています。

顕彰碑の碑文
福岡県山門郡城内村(現柳川市)の名家に生まれた医師宮川謙吉氏は、長く教職にあって婦女子の薫陶に令名の高い夫人千幹(ちもと)女史とともに、旧柳川藩主伯爵立花寛治の勧農殖産の志をうけ、かたわら園芸を愛好し、立花家家令吉田孫一郎氏から温州蜜柑の穂木を譲り受けて自邸内に自ら接木した。
ところがやがてその一枝に早熟で美麗な大果が結実しているのを発見し、大正5(1916)年、立花家農事試験場主催の品評会に出品した。
これを福岡県技師浅田岩吉氏が優良と認めて増殖を勧奨したことにより、県内に普及し始め、特に八女郡の持丸明三氏と山門郡の田中亀蔵、石井佐吉氏は率先して、この種の苗木育成と高接につとめた。
農学博士田中長三郎氏は大正12(1923)年以来、原木を調査した結果、立枝の一部が、芽状(がじょう)変異として早生種が発現したことを確証し、大正14(1925)年、これに宮川早生と命名して学会に発表した。
昭和4(1929)年、九州沖縄八県連合園芸共進会において、最優秀の賞を受け、以来本種は、樹勢強健、果型偉大、外観品質共に良好で、しかも豊産性の経済的早生品種として、一躍広く業界に認められることになった。
福岡県は昭和11(1936)年、原木を天然記念物に指定して、その保存につとめた。昭和23(1949)年、おしくも枯れ死した。
しかしこの原木の一枝から発見した本種は広く全国に普及され、早生温州の王座を占めてその栽培面積は、福岡県1千ヘクタール、全国1万ヘクタールに達する成況をみるようになった。我が国の柑橘産業の飛躍的発展はこの宮川早生におうとこおが、まことに大きいことを銘記すべきであろう。
宮川早生発生以来50年、ここに原木発祥の地を選び原木第2代樹を移植し、そのほとりに顕彰の碑を建てて長く後世にその由来を伝えたい。
顕彰碑の裏面に
宮川早生温州顕彰碑 昭和36年6月10日建立
宮川早生温州みかん発見について 農学博士 田中長三郎
山川みかんを全国に普及させた人たち
山川村(現みやま市山川町)の田中亀蔵氏と石井佐吉氏は率先して、この種の苗木育成と高接につとめた。
商品として市場出しを考えたのは青輝園主の田中亀蔵氏であった。
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