高田行宮址を考える(前編) 地図より考える。
昔の郷土 ふるさと学習6号より。
郷土の三市場
わが郷土は、有明海に面して海の幸に恵まれている。古くから対岸の島原、天草、その他の地方との間に、物々交易が行われた。
黒崎や四ツ山は海人にとって自然の標識である。黒崎の岬を廻り左手に竜宮島を眺め魚繋、鷺山と舟は満潮に押し流されて、
倉永の市場に達したもので、ここで市が開かれる。
帰りには倉永七ツ霊泉より、飲料水を汲み七天神に海上の安全を祈りつつ帰航の途についたものである。
中島川(矢部川)を逆上って飯江川に出で天草天神を伏し拝み、山浦、金仙寺山を右に、岩津、長島、古島を過ぎて、海津の浜辺に達し、ここで海の幸、山の幸の物々交易が開かれたのである。(
山浦の市場)
中島川(矢部川)本流を上る舟は、津留の浜、談議所の浜、住吉の老松を左に見て
芳司の市場で、市が開かれる。
そして海の幸と、芳司に集められた農産物や瓦、細工物、鋳物と物々交易をして帰るのである。
山浦の市場
有明海より矢部川を少し溯り飯江川との合流点となります。飯江川を溯れば今福山・岩津山の麓まで舟を進みます。今も岩津山のふもとには貝殻が岩戸に付着しています。
前面は海津の海岸線にて左手に高田の高い岡があります。東北には長島(小佐島)、古島の島が水に浮かんだ誠に理想的な港です。
こんな要地ですから
天智天皇が江の崎(大和町六合)より舟を進めて小佐島に御上陸になりました。当時、村人たちは腹赤魚を献じて帝を御慰め申したとの事です。
長島(おさじま)に釣殿宮として天皇を祀った宮があります。また、長島の仮の宮殿の付近には随員が捧持した御幟・御鉾を建てた所を御幟の森・御鉾の森として現在あります。
天皇は毎朝東方の古島に神籠木(ひもろぎ)を安置して古島を神聖な所と定めて遥拝して国土安穏を祈願されました。今も古島には大神宮の宮があります。
この港には天草・島原より商船が度々入港しました。航海の安全を祈るために奉祀した天草天神社は今に高田の高地に鎮座しています。
今福山の麓の山浦には、幕末頃に郷土の重要産物である木蝋など、皆この港にて積舟をして長崎港に運送していました。
天智天皇
天智天皇(てんちてんのう / てんじてんのう、推古34年(626年)- 天智天皇10(672)年)は第38代天皇。
一般には中大兄皇子(なかのおおえのおうじ )として知られる。「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた皇位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「二番目の大兄」を意味する語。
以下は私たち「
地元学」で勉強して
現場調査した時のものです。参考にして下さい。
長島地区の文化財を訪ねて 地図参照
長島地区の文化財を訪ねて4(御幟の森・御鉾の森)
長島地区の文化財を訪ねて6(釣殿宮)
長島地区の文化財を訪ねて7(大神宮)
鎌倉時代 ふるさと学習6号より。
本土居・潮土居の図 半田隆夫著書より。
現在の地図 半田隆夫著書より。
高田町岩田校区の地図 ふるさと学習6号より。
高田井堰
高田井堰について柳川藩土木台帳に、三池郡高田井手掛の村用水のための寛政4(1792)年9月とあり、この年に高田井堰は建造されたものであろう。
高田堰の上流には、海津・小川・古島・長島・宇津・岩津など海との因縁浅からぬ地名がある。
実際にこれらの地域、およそ200町はすべて海であり、地盤の標高が低くて排水不良になり易い土地である。
ふるさと学習は高田町郷土史部の研究資料です。
高田井堰・郷土の三市場は「
ふるさと学習」から使用しています。
半田隆夫著書は「田中吉政・忠政とその時代」です。
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私の目標 今一番大事なことは絆 を育てること。