五條家の歴史 南北朝時代の息吹を伝える
八女市黒木町大渕 五條元滋氏
講師 五條元滋氏と先祖
22代 頼定(曾祖父)
23代 頼次(祖父)
24代 元輔(父)
25代 元滋
南北朝時代の概略
1333年 鎌倉幕府(北条氏)の滅亡
1334年 後醍醐天皇の建武の新政(天皇親政)
1335年 足利尊氏反旗をひるがえし
1336年 光明天皇(北朝)を立て、後醍醐天皇は吉野(南朝)に遷幸。
朝廷が分裂。(南北朝時代の始まり) 以後1392年までの57年間を南北朝時代という。
懐良親王の時代
延元元(1336)年、後醍醐天皇は吉野(南朝)に遷幸
4人の皇子を陸奥・東国・北陸・九州に派遣
義良(のりなが)親王(のちの後村上天皇)・・・北畠顕家(親房の子)
宗良(むねよし)親王・・・北畠親房
恒良(つねよし)親王・・・新田義貞
懐良(かねなが)親王(征西将軍)・・・五條頼元(征西副将軍)
="color:rgb(255,0,0);">五條頼元
清原氏・・・代々学問の家系
清原良枝・・・(後醍醐天皇に昇殿を許された学者)の二男。
勘解由次官(有能な事務官・明経道の学者)
後醍醐天皇の信任篤く、九州平定のため、懐良親王を補佐し、九州に下向。(宮の教育と令旨の奉者として)
後醍醐天皇より、五條の姓・菊桐の紋所・御旗・御劔を賜る。
懐良親王の九州西下の順路
綸旨 クリックすると拡大します。
戦国時代 大友家時代
8代良邦から13代統庚までの6代、大友家に仕える。
五條文書の中に大友家文書が140通
11代 鑑量(あきかず)は 大友義鑑(よしあき)に仕える
12代 鎮定(しげさだ)は 大友義鎮(よししげ)に仕える
13代 統庚(むねやす)は 大友義統(よしむね)に仕える
豊臣秀吉の全国統一により、豊後玖珠へ。
加藤清正公の時代
13代 統康の時、慶長13(1608)年から寛永3(1626)年まで、肥後八代に居住。
現在の旧矢部町清和村一帯に500石の知行。 矢部七郎左右衛門と称す
八代には懐良親王の菩提所「悟真寺」がある。 懐良親王の御陵墓は八代市(宮内庁管轄)
八代宮には懐良親王・良成親王がお祀りされ、毎年8月3日、盛大に例祭が執り行われている。
立花藩の時代
加藤清正が亡くなった跡、14代長安の時、立花宗茂公の客分となり、その後立花藩士となる。
旧臣大渕三河守に迎えられ、旧縁の地に帰る(その時の様子は大渕家の記録に)
現在の住まいは築三百年の武家造り。
15代頼安の時、柳川藩山筒頭となる。
旧柳川藩戦没者供養会(五條家は休松の戦い時の戦没者)秋月種実対大友軍の戦い。
五條文書
明治以後
明治20年、内閣修史局より「五條文書16巻」がまとめられる。
明治26年、北白川の宮能久親王が良成親王の御陵墓参拝の折、五條家に御宿泊。
明治30年、22代頼定 男爵を賜る。23代頼次まで。
昭和7年、宝物庫竣工
昭和13~25年 「五條文書」が国宝指定。
昭和25年、「五條文書」重要文化財指定。
昭和51年、「金烏の御旗」重要文化財指定。
五條家宝物顕彰会により「御旗祭り」の開催。
金烏(きんう)の御旗
大杣(おおそま)御陵墓
懐良親王にゆかりの「大円寺」
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