スーパリゾートハワイアンズと草津3日間(2日目・偕楽園) 6月11日(月) 天気 晴れ
ガイドさんの案内で東門から入る



仙奕台
千波湖をはじめ周囲の景観が一望できるこの突き出た台地を仙奕台と称します。
「奕」は囲碁を意味し、四方を眺め湖上から吹き上げる涼風を受けながら碁や将棋などを楽しんだ所です。
石でできた碁盤や将棋盤、琴石、卓石は当時のものです。


好文亭(楽寿楼)
木造2層3階建ての好文亭本体に木造平屋造りの奥御殿から成り、その位置から建築意匠まで斉昭が自ら定めたといわれています。
各所に創意工夫と洒脱さを感じさせて斉昭は、ここに文人墨客や家臣、領内の人々を集めて、詩歌や養老の会を催しました。
奥御殿は、城中に出火があった時の避難場所として備えられ、藩主夫人やお付きの婦人が使用しました。
「好文」とは梅の異名で、晋の武帝の「学問に親しめば梅が開き、学問を廃すれば開かなかった」という故事に基づいて名付けらました。
好文亭は昭和20年8月2日の空襲で全焼しましたが、昭和30年から3年をかけて復元されました。

桜の間と梅の間 絵はがきより。 クリックすると拡大します。

菊の間と竹の間 絵はがきより。 クリックすると拡大します。

水戸黄門

梅

義烈館案内板と農人形の記

言はまくもかしこき我が烈公の御上は 世にあまねく知られ給へるが中に まだいと若うおはしましし程より ことに民のなりはひを深く御心に占めて思ほしけるより 銅もて此れなる み宝を鋳さしめ給ひ
朝な夕な いひ(飯)食ふごとに忘れじな 恵まぬ民に恵まるる身は
かく詠ませ給ひて 御ものの台(お膳)に据ゑさせ給ひ 先ず初穂をば これにたまひて後にぞ
御みづから 物し給ひき かくて君たちの 生ひ出で給へるごとに 御ものまゐり初むる日より
必ずこれを御教への始めとはし給ひしを おのずから世にも聞えて いとかしこき御慈しみのほどを
慕ひ給へる御方々 又しもが下に至りても 同じ心にいたまひ奉れるともがらの 多くなりもて行くにつけて
鑾山の君 銅の型をそのまま据ゑ物に御手づから調ぜさせ給ひ折にふれて賜はことのしばしばなるに
この故よし記し置かずば後の世に至りて もて遊び物の如く成りなむも 計り難ければ 此のみ宝に
添ふべき一言をと 人々の切に言はるれど おふけなきわざなれば あまたたび いなび聞ゆれど
ゆるしなければ 拙き詞もてかい記すは松戸 戸定山の常磐の蔭に年経て住める萬里小路ちか子
上の文章は「農人形」の”いわれ”をしるしたもので、もとの文はほぼかな書きです。
鑾山(らんざん)は昭武公(あきたけこう、烈公の子)のことで常磐神社には義公(ぎこう)・徳川光圀(みつくに)公と烈公(れっこう)・徳川斉昭(なりあき)公がまつられています。

斉昭公は部屋住みのころから「お百姓」といって青銅で作った小さな像をお膳の上において、その像の笠の中に飯粒を少し供えて感謝の心を捧げてから食事をされました。
明治維新の後 水戸藩主・昭武公は松戸の戸定山に住まわれました。睦子(ちかこ)夫人は従一位大納言 萬里小路(までのこうじ)建房卿の息女で昭武公の生母です。
裂公ご自作の農人形は常磐神社境内の「水戸黄門宝物館」に展示しています。
下の像は、芸術院会員・故小森邦夫氏の作で、水戸ロータリークラブから奉納されたものです。

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