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千寿の楽しい歴史
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2012金銅板両界曼荼羅紹介・千寿の楽しい歴史
金銅板両界曼荼羅紹介  柳川市三橋町パンフレットより

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観中山(かんちゅうざん)法正院(ほうしょういん)清楽寺(せいらくじ)

平安初期の大同2(807)年に建立されったといわれています。真言宗醍醐寺派に属した古い寺で、かつては境内も広く子院も多数あったといわれ、西国33ケ所霊場の一つでした。金銅板両界曼荼羅もかつてはこの寺に納められていました。

しかし、天正年間(1578~1592)、肥前竜造寺隆信の兵に焼き討ちにあったり、江戸時代の寛文12(1672)年、、中山村を領地とした立花帯刀が本院を祈願所にしたりするなど盛衰を繰り返しました。

昭和28年の水害では相当痛み、昭和33年に建替えられ、ほぼ現在の姿になっています。堂中には閻魔王像と信者の寄進による般若心経が納めてあります。

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曼荼羅(まんだら)とは仏の悟りの世界を表現するために、多くの仏や菩薩(ぼさつ)などを体系的に描いた図です。

また両界とは、智をあらわす金剛界(こんごうかい)と理をあらわす胎蔵界(たいぞうかい)の」ことです。

「金銅板両界曼荼羅」は銅の薄板を9枚ついなぎ、像の部分を裏から打ち出し、上から掘って鍍金(ときん=めっき)仕上げしたものです。

曼荼羅は普通、紙、布などに描かれることが多く、このように金属を用い、立体感を加えたものは他に例がありません。

この曼荼羅は現在、茨城県利根町徳満寺の所有ですが、国の重要文化財に指定され、東京上野の国立博物館に寄託、公開されています。

金剛界の一部に次の銘文が彫られています。

大日本国鎮西筑後国瀬高御庄内清楽寺    建久五季六月十三日   願主弁慶 工師藤原延次

この銘文を読むと、この曼荼羅は今から八百年ほど前の鎌倉時代(1194年)に作られたことがわかります。

そして、この筑後の国の瀬高御庄内清楽寺とは、いまの柳川市三橋町中山にありました。

曼荼羅が作られた時代、私たちの故郷は、華やかな仏教文化に彩られ、ほかで類を見ることができない、すばらしい仏教美術品を作り得る、経済力と文化の高さを備えていました。

このことを誇りに思い、町では文化の香り高い町づくりのために、曼荼羅の複製品を作成いたしました。

制作工程図  レプリカを作り展示してあります。

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緻密で複雑な工程を写真と説明文が横に掲示してあります。いつくもの工程を経て出来上がります。

左~金剛界   右~胎蔵界    クリックすると拡大します。

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左~②道具類   右~⑨裏から打ち出す工程

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①トレース 写真より線画を写す。 

②工具類:福鎚・木鏨・鑿(のみ) 

③炭研ぎ:銅板の表面を整える。

④転写:線画を銅板にシルクスクリーンで印刷る。  

⑤ヤニ板を暖める。

⑥暖めたやに板に銅板を貼り付ける。  

⑦図柄を鑿で彫る。   

⑧図柄を鑿で彫る。

⑨彫り上がった銅板の裏から木鑿で打ち出す。   

⑩彫り上がった銅板の裏から木鑿で打ち出す。

⑪図柄の周囲に魚々子(ななこ)鑿で図柄を入れる。  

⑫裏面の拡大。   

⑬写真はない(蝶番制作)

⑭蝶番の制作:管の部分をヤットコで丸める。   

⑮蝶番の制作:出来上がった蝶番の部品。

⑯管に軸棒を通してかしめ留をする。   

⑰金メッキの後、銅板に穴を開ける。

⑱銅板に蝶番を乗せ、鋲を通して固定する。  

⑲裏から蝶番の鋲をたたき、かしめ留をし完成。

曼荼羅が作られた頃の柳川

当時の筑後南部は三瀦庄・瀬高庄といった荘園が広がっていました。これらの荘園は京(中央)の有力貴族や有力寺社の保護を受け、税を納めていました。

しかし鎌倉幕府の成立(1192年)とともに、幕府は各地の荘園に、武士を地頭(幕府の役人)として派遣できるようになりました。地頭がくることは荘園側には都合の悪いことであり、これより以降、荘園・貴族と地頭・幕府の対立が続き、緊張が増します。

この時代は荘園という制度が大きく変わり始めた時期であり、新しい時代の始まりであったといえるでしょう。
 
                                                     以上で終わります。







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by kusennjyu | 2012-07-07 20:13 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 |Topに戻る