柳川藩祖・立花宗茂と立花直次とは、兄弟であり、その父は高橋紹運でした。
天正14(1586)年、宝満・岩屋城での戦いの時、高橋紹運の長男・統虎(宗茂)は、大友氏一族、立花道雪(戸次鑑連)の養子となり、博多の東にそびえる立花山の立花城を護っていました。
立花統虎(宗茂)は、慶長5(1600)年、関ヶ原の合戦で徳川方(東軍)に対決する西軍として闘い、敗者となりました。宗茂及び直次の領地は共に没収となり、朝鮮出兵で共に戦った加藤清正の庇護を受けることになりました。この結果、筑後一円32万石は、関ヶ原の合戦で功をとげた田中吉政に与えられました。

6代三池藩主・立花種周は、寛政元(1789)年6月に徳川幕府の大番頭を仰せつかり、同4年には、奏者番兼寺社奉行になりました。そして、寛政5(1793)年には若年寄の要職につき、北辺防備総監になっていました。
慶応3(1867)10月15日に「大政奉還」を行い、徳川幕府の支配は終わりました。| S | M | T | W | T | F | S |
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