雲龍さんの横綱への道
雲龍久吉物語より(雲龍第10代横綱拝領150年と琴奨菊 大関精進 記念出版)
大型紙芝居制作=アリスの会 名調子で語ってくれます。 下の説明は、紙芝居の言葉とは違っています(文章を略しています)。
(7枚目)太郎が青年になったある日のこと。近くの村に相撲部屋の一行がやってきた。
聞けば相撲大会があるというので、長太郎も村のみんなと一緒に出かけて行った。
「おい、聞いたか?誰でん、お相撲さんと勝負できるとげな!」
村人たちはしり込みする長太郎を無理やり土俵に押し出した。
(8枚目)なんと長太郎は、がむしゃらに相手を押すだけで、どんどん勝ち進んでいった。
それからというもん、相撲をとれば、このあたりで長太郎にかなう者はいなくなった。
(9枚目)ある日のこと、大阪の相撲部屋の者が訪ねて来た。
「なんという見事な体格じゃ。おまえなら立派な力士になれる。横綱も夢ではないぞ!」
「せっかくですが、相撲取りになる気持ちはありません。俺の仕事はこの家を守ることです。」
長太郎はあっさりとその誘いを断った。
(10枚目)相撲部屋の人があきられきれずにいると、騒ぎを聞きつけて村のみんながやってきた。
「長太郎、弟たちのことは心配するな。村のみんなで面倒見るけん。」
「いや、村のみんなには、ただでさえお世話になっとるとに。そげんな迷惑までっかけられまっせん。」
村の人に励まされ、とうとう大阪で修行する決心をしたのだった。
(11枚目)「なんお、これしき!苦労のうちにははいらんたい。」
長太郎は、めきめき強くなった。そしてとうとう『雲龍久吉』という立派な四股名(しこな)をちょうだいした。
久吉は、その後も激しい修行を積み、「負けなし」という見事な成績を納めた。
その勢いは、まるで天を突き抜ける龍の姿を見るようだった。
(12枚目)「お殿様、今、雲龍が大活躍しております。自分の古里、柳川藩以外のお抱えは受けられないと、きっぱり断ったそうでございますぞ!」
こうして雲龍久吉はめでたく故郷・柳川のお抱え力士は迎えられた。この時、31歳。
(13枚目)それからも雲龍はますます精進して、念願の第10代横綱となった(40歳)。
故郷の三柱神社では横綱披露のため、雲龍の一人土俵入りが行われた。
夏真っ盛りというのに、相撲場のまわりには一万人の観客。
(14枚目)相撲場は天地を揺さぶるほどの大喝采。威風堂々たる横綱の土俵入りに故郷の人々は喜びの涙を流すのだった。
この時の土俵入りの型が、攻めと守りを同時に表現した
『雲龍型』となった。
『雲龍型』は横綱の晴れの舞台を演出する素晴らしい型として今も受け継がれている。
おしまい。
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