山川町の史跡1(雪峰山立花藩主墓所と松濤山江月寺) 8月21日午後訪れる。
雪峰山立花藩主墓所 山川町河原内字九折地内

右側が鑑虎公の墓、左側が鑑任 公の墓

江戸時代は、元禄の頃(1702年)、柳川3代藩主・鑑虎(あきとら)公が死去される際の遺言により、墓所を建てられた。
冬の朝など、この別荘(雪峰軒)から眺める峰々に積もった雪が実に素晴らしく、その美しさに感動され、「是非ここに墓を建ててくれ」という公の強い意志によるものであった。
この墓所からは正面のはるか西方に柳川城を見ることができ、朝な夕なに我が城を眺めながら、ひと時を過ごされたことであろう。
というのは、鑑虎公の母君が仙台伊達正宗公の孫娘であったことから、御牧山に牧場を開き、仙台駒を飼育したいきさつで、度々この山川の地を訪れられたのである。
また、同じく4代藩主・鑑任(あきただ)公も父上の意志をくみ、この地に親子2代、肩を寄せ合うように閉静な山里で、夕日に映える城を眺め、藩の行く末を見守り「雪峰山」の山麓で静かに眠っておられるのである。
松濤山江月寺 山川町河原内字蒲池山地内


松濤山江月寺(しょうとうざん・こうげつじ)(黄檗禅宗)
万冶2(1659)年、僧鉄文和尚が開山創建し、その後長らく無住であったが、元冶元(1862)年、僧独唱によって再建され今日に至っている。
建物は創建当時の、そのまま残っていて、中には立花藩主しか通ることの出来なかった山門があり、当時の江月寺隆盛、繁栄を物語っている。
鉄文は現高田町海津に寛文10(1670)年に生まれ、中国から来た名僧・隠元(いんげん)のもとで禅理を究め、隠元の弟子・十鉄の一人と言われた。
柳川2代藩主・立花忠茂公の命により、福厳寺を黄檗禅宗として建立すると、立花家代々の菩提寺となる。
なお、江月寺は福厳次の末寺で黄檗宗である。
鉄文和尚の詩
「吹けば散る 花にむなしき 色みえて 法のをしへの 山桜かな」
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