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千寿の楽しい歴史
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2012飯江校創立百周年記念誌・千寿の楽しい歴史
飯江校創立百周年記念誌    

昭和53年2月1日発行

空から見た飯江小学校(昭和53年)

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南側から見た飯江小学校(昭和53年)

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飯江小学校略史

明治11(1878)年  大字飯江に天道小学校開校(単級編成)。大字亀谷に分校を置く。

明治19(1886)年  小学校令により天道尋常小学校と改称する(2学級編成)。

明治25(1892)年  小学校令改正により飯江尋常小学校と改称する(2学年合級の複式教授を行う)。

明治36(1903)年  4ケ学年に編成、4学級を置く。

明治41(1908)年  5学年を置き、5学級編成。

明治42(1909)年  6学年を置き、6学級編成。

明治43(1910)年  飯江と亀谷の両校を合併し、校地を現在地(大字舞鶴257番地)に改築移転する。

目ざす児童像

よく考え進んで勉強する子ども・きまりを守り、仲よくする子ども・こんき強く、最後までやりぬく子ども。

飯江の郷土史

1・源平合戦 飯江要川の戦い   飯江川6(要川公園)

はな丸・大吉のなんしょっと?(みやま市)

2・藤原藤房の墓

足利尊氏の謀反によって、健武の中興は、挫折してしまった。不平不満の武士達は、尊氏を中心に集結し、天皇中心の政治を、排撃して後醍醐天皇を、追放してしまったのである。

天皇と貴族の一部は、京都を追われて、吉野に落ちていった。藤房も天皇を擁護して、笠置城へ逃げ込んだが、そのところも賊軍の攻撃で落城し、深山幽谷を彷徨しながら、樹下や石上に仮寝を幾度も続けなければならなかった。武士階級の貴族に対する反発も、強く藤房は、征西将軍に従って西下した。

尊氏は光明天皇を擁護して、北朝をたてる。後醍醐天皇も南朝を樹立し、ここに南北朝時代が到来した頃、藤房は、尊氏を支援する九州の豪族の圧力に苦渋しながら万里の森へ難をさけたのである。その近郊の飛塚に、屋敷をかまえて、世捨て人の様な生活を送ったと言われている。

飛塚の丘上に苔むした小さな墓石が一基ある。明治8年の頃、旧水戸藩主某の報告で、新聞に「中納言藤房卿の墳墓は、筑後柳川にあり」としるされているが、藤房の墳墓は調査の結果、亀谷の飛塚に、屋敷があることが発見された。墓も発見されたものである。尚、マチゴは万里小路の略称である。

3・飯江の人参(にんじん)山

立花宗茂の朝鮮征覇により、捕虜を、引き連れて帰国した際、宗茂の従兵達は、高貴な薬用的価値のある人参苗を持って帰った。この苗を八女郡北田の庄に栽培せしめ、分株を、同郡本山及び辺春、三池郡飯江村等に栽培せしめた。飯江村の亀谷の山上に約1町歩ばかりを人参畑として育成したものである。文久、元冶の頃まで、栽培したと伝えられている。

4・舞鶴城跡

飯江村舞鶴にある。昔、牡丹長者(西暦880年頃)は有事に備えて厳重な砦の城を築き、この城によった。又後年、柳川城主蒲池久憲が応永年間(西暦1394~1427年)この跡を修築し支城とした。肥後菊地軍その他の防御に備えた砦の城である。蒲池氏の家紋は舞鶴だったので舞鶴の城と名付けられたといわれる。

5・飯江城跡

花山院政時代、飯江村平にあって66代一条天皇の御宇(990年)武智源太春倫之に拠れりという。後に田尻伯耆守鑑種が肥後軍の来襲に備えるため厳重な砦を築いた。しかし今その正確な事蹟を徴することがない。

6・現人神  飯江川5(湯摺)

7・飯江の地蔵堂  飯江川8

8・狩道(かりじ)駅と牡丹長者の伝説  飯江川9

9・大名行列の道   薩摩街道を歩こう1(山川ー南関)   リンクを見て下さい。関連したものをあげています。

飯江小学校は母の母校です。城道橋が板橋で大水の時は恐かったことや飯江川横の城道は桜並木だったことなどを聞きました。

平成28年4月から高田町の飯江小学校・竹海小学校と山川町の南部小学校・東部小学校が合併して桜舞小学校として発足しています。






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by kusennjyu | 2017-01-12 07:34 | みやま市の歴史 |Topに戻る