「赤い煉瓦塀の三池集冶監」の歴史6
「赤い煉瓦塀」(五藤一芳著)より6回目
罪人の囚人だけでなく、一般の労働者にも納屋頭という者が全労働者を支配し、仕事の仕方や日常の生活までも干渉する習慣があった。請負制度の名残りである。
炭坑夫には飯場が設けられて飯や寝る布団も準備され、流れ者が来てもすぐに働くことができるようになっていた。そこには、けつわり(逃亡)やのそん(怠業)を避けるため、鉱山の管理者達に認められた集団生活を統括する頭が存在した。
納屋頭と呼ばれる男である。一般に鉱夫の納屋とか、頭領とか呼ばれて常民労働者を支配した。納屋頭の下には小頭(補佐役)や、人繰り(配置役)、勘定(会計係)、坑内頭などの役柄が決められていた。
この時、常民労働者を束ねていた男の配下には監獄帰りの荒くれ者を抱え、組織を乱す者や能率のあがらぬ者を折檻と称して、海老の宙返りとか、逆さ吊り、火炙り、提灯曲げ、砂袋責め、下がり蜘蛛などの死刑(リンチ)を加えていた。常民労働者でありながら、不思議と前科者が幅を利かす職場であった。まともな労働者の中には懲役に入ったほうが楽と、わざと罪を犯す者まで現れたという。
常民労働者も、囚人と変わらぬ過酷な労働と生活を強いられ、仕事に就けば12時間以上も働かされた。休む時間といえば、短い睡眠時間しかなかった。窮屈な生活を強いられているばかりに、たまの休みには羽目を外したくなり、わざわざ稲荷(とうか)村の宿泊小屋から、大牟田川の下流の毘沙門堂の近くの飲み屋にまで足を運んできているのだ。
6回目終わり。
探検! 三池工業の100年(鈴木裕和著)より。
左~修羅坑と呼ばれた宮原坑 右~放免小屋

左~坑道の側壁の各自の家 右~坑底に囚人労働者が祀っていた「山の神」

死んだ囚人は・・・
大牟田市新勝立町には、三池集冶監の墓地がありました。(以前、炭坑の大砂社宅があったあたり)。
その小高い丘の上に「解脱塔」と刻みこまれた塔が立っています。
塔の裏側には「明治二十一年八月 三池集冶監吏員立之」と記してあります。(吏員とは役人のこと)
囚人の中には、身寄りのない人や肉親と縁が切られた人もたくさんいたと思われます。そのような囚人は、亡くなっても遺体の引取人がいません。そんな時、この空井戸に遺体や仮埋葬した遺骨を投げ込んだのかもしれません。
「明治二十一年八月」は、ちょうど炭坑の三井払い下げが決定した時期です。これで集冶監がなくなり囚人労働者も終わると考えて、役人たちが囚人の供養のために建てたとも考えられます。
左~解脱塔 右~コンクリトでふさがれた空井戸

左~一の浦墓地 右~宮原坑第二竪坑やぐら

左~「倶曾弌處」の塔 右~熊本市にある「三池刑務所合葬之碑」

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