千寿の楽しい歴史
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山本作兵衛コレクション展を訪ねて2・千寿の楽しい歴史
山本作兵衛コレクション展を訪ねて2   12月4日 田川市石炭・歴史博物館

第2部「坑内労働・ヤマの暮らし」 平成23年10月18日~平成23年11月13日

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解説~立ち掘り

明治中期の採炭夫。先山・後山、一先(先山1人と後山1人の2人1組)サシ(2人1組)、2人組の事。

炭丈(スミタケ)が1.50m以上あれば、立ち掘りができる。柔らかい部分を透かして掘るが、なるべく中を深く透かして掘るが段取りが良い。

60cm余り透かして、下は盤石を打ち上げ、次に上はツリ石を叩き落とす。

ツリ石~吊石、吊岩。天井に食い込んでぶら下がっている岩。

切羽(きりは)面にボタを挟んでいないのをキリタオシと言って、坑主(炭坑経営者)のドル箱である。

筑豊のヤマは、ボタを含んでいる所が多い。もっとも、低層炭(ていそうたん)はホンスばかりであるが、量は少ない。昔は天井や盤にボタを含み、粉炭層(ふんそうたん)は残していた。

ホンス~本層。石炭、岩などのいくつかの層が重なっている中で、主要となる炭層。

切羽を平面に採掘することをツラドリと言って、アラトコ切羽では、能率が上がらない。いわゆる、軽働多産・重労少産で、巧拙(こうせつ=上手下手)の差はとても大きい。先山は右利きでも、左でツルハシを使わねば一人前ではない。

切羽~石炭採掘現場。

アラトコ~新床。未着手の炭層。

明治32年頃、一函切賃20銭、堅い所は25銭だった。サシ(2人1組)で5.6函位。勘引が2合以上。あがり賞与(奨励金)が1割付くから1合引き(見込み出炭)となる。

勘引~検炭してボタなどの量に対し歩引を行うこと。

白米1升10銭、沢庵(コンコン)1本1銭。サツマイモ1斤(約600g)1銭5厘の時代。

Q・納屋制度とは何ですか?

A・各地から筑豊に集まってくる荒くれた人々を統制して、労働させるためには一定の経験と力が必要でした。そのため経営者は、石炭採掘の経験と技術を有し、かつ坑夫への統率力がある人物に炭坑の運営を一切委任し間接雇用の方法をとりました。これを請け負った人は、納屋(住居)の運営も兼務し、納屋頭とか頭領と呼ばれました。

明治30年から大正期にかけて、中央の大資本企業を先頭にして、この納屋制度を変革しつつ、近代的な直接雇用に切り替えていきました。

Q・炭坑切符とはなんですか?

A・坑主は、賃金を炭坑ごとに作った炭券とか斤券と呼ぶ代用紙幣で支払い、特定の売店等しか流通しない経済支配をしました。

現金払いをした三井や明治炭坑に始まり、大正中期までには各炭坑も炭券を廃止しました。

Q・鉱員・職員の給料はいくらですか?

A・坑夫と呼ばれる現場の労働者は、原則日給制で、これを月払いとか、週払いとかの支給になっていました。相場は、農業労働者の倍額くらいです。

その金額は、労働現場(労働種別)・炭坑の経営規模で異なります。大手の三井と中小炭鉱では倍額程度違いました。

また、戦時等で石炭の需要が高くなると、賃金以外に特別手当で人を集めるなど待遇が好転しました。

なお、職員と呼ばれた幹部は、月給制が多く、住宅も高級住宅であったりして、待遇が異なりました。

                                        次回に続きます。





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by kusennjyu | 2012-12-08 05:26 | 歴史学習会 |Topに戻る