2013岩田校区の思い出と全国高校野球甲子園大会・千寿の楽しい歴史

岩田校区の思い出と全国高校野球甲子園大会
平成10年1月3日 ガーデンホテル記念写真 同期会

卒業生の思い出 SK 岩田小学校創立120周年記念誌より(昭和35年3月卒業)
平成8年3月31日発行
「甲子園」、これは高校野球球児達の夢であり憧れの場でもある。
私もその1人でが、甲子園への道は決して易しいものではなかった。この道程は長く苦しく、汗や泥、涙や努力、根性や精神力等々の鋭くとがった針がギッシリと敷き詰められている。
甲子園はこんな道の遥か遠くに、どっしりと腰をおろしている。鋭い針の痛さに耐え抜いた者だけが、甲子園というヒノキ舞台に到達することができるのである。
福岡県大会決勝
昭和40年の夏、我が三池工業高校は甲子園へのたった1枚のキップに賭けた最後のチャンスに挑む、「悔いなき試合」をモットーに一戦一戦無我夢中で戦う、そして決勝戦、相手は競合の飯塚商業高校である。この大一番で負ける訳にはいかない。両チーム共必死である。苦しい、本当に苦しい、相手の闘志がひしひしと伝わってくる。しかし最後のバッターを中飛に打ち取った時は、真っ黒に日焼けした顔に、あふれる涙を拭おうともせず皆一斉に抱き合ったあの感動は決して忘れることなない。夢を果たすがために、連日の厳しも激しい練習に耐え、ただひたすら甲子園への道を歩み悩み苦しみ抜いて得た感動は、すばらしい青春の思い出として永遠に私の心に生き残り、人生の応援歌として響き続けるであろう。
現在私は、志を同じくする中学生を対象に野球の指導を行っているが、1人でも多くの球児が甲子園のすばらしさを味わってもらいたいと願っている。
思い起こせば小学校4年の時、岩田小学校の運動場で野球の試合らしきものを初めて行った覚えがある。そのうち遊びの中にも常に野球が取り込まれ、近所の者でチームを作りよく他流試合に出かけたものである。
5年の時には、母から「そんなに野球が好きなら」と、当時の金で丁度千円のグロブを買ってもらった。高い買い物だったが母は何にも言わずただニコニコしていたのを思い出す。
6年の時には初めて校区対抗のソフトボール大会が催された。クラスから選抜されポジションが決められる。当然レギュラーだと思っていたが補欠に廻され悔しくて悔しくて泣きじゃくった。しかし数日間の練習の中で投手がなかなか決まらない。テストが行われ補欠の私にもチャンスが巡ってきた。慎重に投げる。スピードはないがポンポンとストライクが入る、「よし、投手はこの子に決めた!」。校長のこの一声に私は跳びはね大声で叫びたい気分だった。大会は優勝。私はこの頃から野球というスポーツに次第にのめり込んでいった。
中学でも当然のごとく野球部に入部し、心の中でまだまだ小さかった甲子園も、日増しに大きくなり憧れの甲子園になっていった。しかし甲子園への道がこんなにも苦しく、険しいものだとは当時全く思っていなかった。
夢にまで見た甲子園出場、そして全国制覇、これは私の最も大切な生涯の財産であるが、この財産の基は岩田小学校時代のたった1個の野球ボールとの出会いから始まる。岩田小学校時代は、いわば私の大きな夢を果たせた原点なのである。
人にはそれぞれの進む道があるが、志半ばにして挫折してしまう子供が多いような気がする。子供は限りなく大きな夢を持ち、それに向かって力強く翔いてもらいたいと願っている。
120年の伝統を誇る岩田小学校に学ぶ子供達にエールを送るとともに、岩田小学校の益々の御発展を祈念する次第である。
三池工業が甲子園の全国高校野球で優勝(朝日新聞記念誌より)

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