木蝋製造業(明治時代の海津) 海津郷土史より
立花藩では、領内の農民の金納を容易ならしむるため、ハゼの木を河川堤防や竹藪等の休閑地に植えることを奨励した。ただでさえ六公四民の過重な税金に苦しんだ農民は、喜んで植えたものと思われる。あちこちの用水路そばに、生えているハゼに目を向ける者は今はいない。1本1本のハゼの木に刻まれている当時の農民の苦労に想いをはせる人は幾人いるだろうか。
当地方で、一番最初に木蝋製造に手がけたのは瀬高町大字下庄字八幡町の武田平助氏の先祖である。創業は享保2(1717)年と云うから約300年前(現2013年で)のことである。
明治18年頃から談議所の港から満潮に乗って長崎港まで運ばれ、ここからシナ辺の海外に輸出され、見返り品として、綿花や糸などを輸入したようである。
海津で木蝋製造を創めたのは、
茂出の江崎宗四郎である。彼は瀬高下庄の武田製鑞店へ雇われて20数年間、この仕事に取り組んで綿密に仕事の製造工程を会得し、また原料であるハゼの実についても、天草、島原地方に栽培されたものが、実が充実してしかも品質が優れていることを研究して、同地方に出かけて行って、その土地の人々とじっこんに成り、たやすくハゼの実を買い入れることが出来るようになっていた。
宗四郎は40歳になって海津に帰り、割合に水害の少ない高地の水田を借り受けて、力の強い青年を数名雇い入れ、小屋を建て、木蝋の製造に着手した。20数年間、武田店で会得した知識と技術は、極めて順調に仕事を進め、精製した見事な白蝋が談議所の岸から若津港に行き、神戸の商店に運ばれると、人気を呼び製品の優秀さに非常な高値で買い取られたのである。
当時、海津地区は毎年水害で農作物は打撃を受け、なにか他に収入の多い仕事はないものかと思っていた矢先に江崎家の製鑞が好評を博したことを聞いた人々は、ひとしく木蝋業へと吸いつけられて行った。
木蝋の製造工程
ハゼの花が散って青い実が北風の寒く吹く頃、褐色に色づいて鈴なりになっている様は見事である。これをなれた職人が長い梯子をハゼの木に立てかけ体に綱をつけて枝にわたして、手に鈎を持って枝を引き寄せて、手早くもぎ採る様は人間業とは思われない。笊(ざる)一杯になると木から下りて大きな麻袋に移して、また、樹上の人となってもぎ採る作業を続けて行く。飯江川の堤防にも、空き間なくハゼの木が植えられていたが、改修工事のため、伐採されて、やがてその姿も消えてしまうのではあるまいか。
さて、ハゼの実は小屋に運ばれて実だけ、きれいに精選され、これをよく搗(つ)いて肉と殻とをよくほぐし、肉だけを釜に入れてよく蒸し、しぼり機にかけて油をしぼるのである。小屋の横を通ると「オーワイ、エス、オーワイ、エス」と若者が矢を打ち込んでは油をしぼる声が勇ましく聞こえてくる。
このしぼり油を採って薬品を入れた汁を皿に入れて固めると生鑞が出来る。生蝋に漂白剤を入れて白色にして30cm四方の箱に入れて固形化したものを鉋(かんな)で削ってござに干し、乾燥させる。水田を干し場にした広場に白い蝋が乾燥させられている姿は、壮観であった。小学校の腕白児が、化粧した女子の先生に「蝋ほし場」とあだ名を言って、大変なお目玉を喰ったと云う話を聞いたことがある。
美麗な白蝋が餅形になったものを、蝋ん餅と云った。蝋ん餅はカマスにつめて海津中の生品は茂出の江崎家・葭原家に集荷されて瀬高町下庄の武田製鑞店へ送られる。下庄談議所の船着場から舟に積まれて三瀦郡若津港へ行く。そして大阪や神戸の大商店に取引されたと云う。この取引状が次の様に残っている。
木蝋の相場は上下が激しかったので海津北の大城乙熊は海津の木蝋組合から大阪に派遣されて、相場の動向に注意して、絶えず海津との間に連絡して万全を期していたものである。木蝋の製造販売で海津の経済界が一時好転したことは事実である。
時は流れる。科学文明は限りなく発展し、あらゆる天然の資源を利用し、より品質も優れ、大量生産によって価格も極めて安い。木蝋に取って代わる化学製品の波が押し寄せて、太刀打ち出来ぬように木蝋業界は、衰微の一途を辿って行った。海津の同業者は1軒1軒と減り続け、ついに数年ならずして全戸が廃業の運命になってしまったのも、時勢のしからしむ所と諦めるより仕方がないのである。
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