たかた広報で見る「思い出写真館」2
平成13年1月15日発行 第437号 ④坂口文治さん提供(当時85歳・黒崎開北)
昭和33年8月1日の町政施行の時に役場の前で撮影した記念写真です。写真中央が当時の柿原町長です。
私たちの町は、この前以前までは高田村であって、現在の竹海地区は、山川村(現在の山川町)内の地区にあり、町政が施行された翌年の昭和34年に編入し、現在の高田町に至っています。
昔の役場は、渡瀬駅前信号北側、国道208号線の東側(現在の積分館書店の場所)にあって、木造二階建ての庁舎でした。庁舎の老朽化と場所が狭いということで、昭和42年、現在の場所に庁舎が完成しました。
(この庁舎はヨコクラ病院建設地として売却され、現在は「まいピア高田」北側に、みやま市たかた支所が建設され平成24年12月から使用されています。)
戦後、間もない時期、政府は食料の増産政策を進めていました。当時はまだ、干ばつや水害による被害が多く、水害で水田の苗が流されると、「救援苗」として、遠方まで取りに行っていたことが懐かしく思い出されます。
平成13年3月15日発行 第439号 ⑤古賀寿さん提供(当時70歳・今福)
昭和20年の終戦直前に、学徒動員で万田鉱で働いていた頃の写真です。終戦直前は、人手不足で、当時15歳の私たちでさえ工場で働かせられたり、中には兵隊に志願して出征する者もいました。
私は、三井工業学校(現 三池工業高等学校)の2年生で、江浦から電車で大牟田まで行き、そこから荒尾の万田鉱まで歩いて行っていました。写真は万田鉱の鍛冶場で働いていた私と、電気修理工場で働いていた同級生の真田君と一緒に撮ったもので、頭についているのは、安全灯を引っ掛けるためのものです。また、写真の絵柄は、動員学徒のシンボルとして腕に付けていたものです。
花も蕾(つぼみ)の若桜/五尺の命ひっさげて/国の大事に準ずるは/我ら学徒の面目ぞ/あぁ紅の血は燃ゆる・・・・と、この写真を見るたびに当時の歌が今も懐かしく思い出されます。
平成13年5月15日発行 第441号 ⑦富重太望人さん提供(当時70歳)
昭和42年2月1日にありました三池干拓入植式典の時の写真です。当日は厳しい寒さだったことを覚えています。
有明海の干拓地は、筑後川、矢部川から流れてくる埴土(しょくど)により海が埋まり、海水が寄りつかなくなり、高くなった所に堤防を築く方法のもので、有明海の大きな干満の差を利用して引き潮の時に堰(せき)をつくり、海水を締め出して陸地を干すもので海抜ゼロメーターも相当ありました。干拓の歴史によれば、百年に1回くらいで干拓がされており、有明海は狭くなってきています。
干拓のことと言えば、平成4年に福岡県香等学校地理研究会40周年記念式典にお招きいただき、三池干拓の入植当時の模様やその後の状況をお話させていただく機会があり、2時間も話すのに悪戦苦闘したことが、思い出されます。
文章は、記事のままですが、一部括弧内を追加しています。
続きます。
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