粥占御試祭 平成25年2月15日 午前11時から 八幡神社(通称揚宮)


占い開始 午前11時30分~ 占師:永井 澪

粥に発生する「カビ」でその年の気象、農業業等を予測する占い伝統神事です。
昨年秋に収穫された御初穂(稲)は、1升2合(12ケ月を意味する)が、歳旦祭で神前に奉納される。
それを1月15日に粥として炊き、方位を識された銅鍋に入れて神殿内に1ケ月安置される。そして2月15日に
開封される。
祭典の当日は神事お祓いのあと、これを取り下げて蓋が開けられます。粥に発生した「カビ」の色彩、形状、場所等は毎年異なるので、これを占う占い師は時間をかけ、慎重に判定する。

今年は全般的に平均的な収穫(7分)であろう。日和と雨天の割合は7対3くらい。
ひび割れが2ケ所があり、台風がある。ハチ離れはなく、台風は少しである。
今年は一つくらいは台風が上陸するだろう。大風が少しで雨は普通だろう。
諸病は過去3年間は黒いカビが表れて、口てい病・インフルエンザー・東北震災があったが、
... 今年は少し灰色なのが心配である。
地区別占い

地域では良いほうから海・山・里の順番になる。海は1番と判定が早かった。
旧国別には良いほうから筑前・筑後(東半分の上と下)・肥前・肥後(西半分の上と下)の順番になる。
粥占御試祭(2012年)
江浦 八幡神社
鎮座地 福岡県みやま市高田町江浦742-2
祭神 応神天皇・神功皇后・武内宿禰命
創建 文治3(1187)年3月3日 人皇82代
沿革
創建当時には源氏と平家の権力争いはその極に達し、下関壇ノ浦戦において平家は源氏の戦力に敗れ、九州の門司附近に上陸し一路主力は南方へ敗走し源氏はこれを追う。
近くは宇津附近において飯江川をはさみ、また上飯江や要川をはさんで戦い、いずこにおいても平家は源氏の軍勢に敗れ敗退し、主力は熊本五カ所や五木方面に逃れ、一部は大牟田諏訪川南堤を西方へ向け敗退、沖ノ端附近へ、また一部は江浦の地に逃れた。
しかるに平家は権力を今一度執らんと計り、当時九州での権力者二日市太宰府へ軍使を派遣し応援を求めたが断られた。これにより戦意は全く喪失し上記の地にそれぞれ土着する。
由緒
江浦の地に土着した中に長井十郎藤正明という人があって、ある日滄海に網を引いていたところ青石3個を得、正明この石を取り元の滄海に捨て、その日の猟を止めて帰りしところ、その夜の夢枕に老翁現われ「お前が取りたる石は宇佐八幡の分身なるぞ。その石取りて村内を持ち廻り落ちたる所に鎮座せよ。」と言われれる。
正明は不思議に思って再び滄海へ出て網を引き上げようとすれども重くて上がらず困っているところ通りがかりの者10名余り現われ、正明は加勢した者と相諮り文治3(1187)年3月3日に社殿を建立する。
400年の御鎮座の後、現在地に移転遷座されて430年を経過し、約830年の歴史を持つ神社である。
現社殿は楼門と共に嘉永2(1849)年の建造です。
八幡神社資料より。
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