横隈宿とその本陣跡(筑前街道) 平成25年4月14日如意輪寺に来て
横隈宿
筑前街道に沿った筑後最後の宿場で、参勤交代のため九州の諸大名はこの街道を往来していた。
有馬伊予守豊範が筑後の内一万石を賜って、寛文8(1668)年に入部するにあたり、その年12月28日に横隈宿に入り、その本陣に泊まった、その後松崎城を築城し、松崎宿が創建され、延宝6(1674)年に松崎街道が天下道となり、筑前街道が廃止されて脇街道となったため、横隈宿は次第に寂れて長い年月の間に宿場の構造は見られなくなった。
最近の調査では、旧三国村役場(横隈公民館)は昔の村蔵の跡であり、更に古井戸が最近迄あったことから、昔の「下のお茶屋」の跡であることが判明した。また横隈には宿場の構造である南北に「枡形」等が明瞭に残っており、昔の宿場の面影をしのばせるものがあり、更に風格のある町並み等が由緒ある横隈の歴史を物語っている。
昭和55年2月 小郡市教育委員会・小郡市郷土史研究会
現地、横隈公民館にある解説板を転載しています。
横隈は松崎藩の端になるので、有馬豊範は南南東へ4kmほどの松崎に城を構え、松崎宿を創建しています。
左~山江方面 右~府中方面

享保19(1734)年稲次因幡(正誠)が蟄居した跡があります。後に津古に移ります。墓は松崎霊鷲寺にあります。
稲次因幡公彰徳
享保13(1728)年8月、生葉、竹野、山本、三郡の農民は藩の重税に堪えず、減税運動の一揆を起こした。総勢5700余人が凶器を持ち、善導寺に集まり御井町まで押寄せた。
27才の若年家老、稲次因幡正誠は単身主謀者と会見して、
1)農民の要求に応ずる。
2)以後の税は一割一歩減税。
3)主謀者の処刑はしない。
という約束の下に解散させて農民の苦しみを救った。
喜んだのは農民だったが、家老仲間の不満、藩公の怒りは後年藩主襲封の問題とからんで津古の庄屋斉田氏宅に幽閉させられ3000石の家老から十人扶持の士となり、2年後没した。行年35歳。罪ある身だったので、この墓地に葬った。
後年、久留米に五穀神社が建立されるにあたり、公の霊を合祀して永く農民の神として仰ぐことにした。
昭和50年2月 小郡市教育委員会 小郡市郷土史研究会
霊鷲寺にある稲次因幡墓前の解説板より。
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