2013大牟田の”炭鉱歌人”山口好(このむ)の紹介

大牟田の”炭鉱歌人”山口好(このむ)の紹介
西日本新聞 平成21年9月4日


山口好の生い立ち
明治28年5月26日、父忠太郎、母キクの次男として、大牟田町稲荷1905番地(現大牟田市)で生まれた。
父忠太郎は大浦炭鉱のつるはし鍛冶であった。父病弱の為、父の炭鉱繰り込みの仕事の手助けをする。
明治43年三井工業学校の受験に合格するが、父病弱のため進学を断念し家業の鍛冶の仕事に従事する。
創作活動の始まり 大正2年9月
大牟田で「白秋詩社」をつくり社友30人ほどを有し創作活動をはじめた。
アララギ入会 大正6年4月
正岡子規→蕨真(わらび・まこと)→伊藤左千夫→島木赤彦(大正6年発行部数が一千部を超える。)
斉藤茂吉、島木赤彦、中村憲吉等によって評され、その優秀さが認められる。
「三池歌壇史」にも好の創作「秋石集」が認められる。
くらやみの探壁うけて通し風吹きまがりゆく音すさまじき
生きもののもろき命をおもいつつ足場さだめて石炭掘る吾は
落盤の重なれる下のうめき声立ちきけるまにこときれにけり
出郷 (大正8年3月頃) →帰郷(大正9年1月) 脚気、心臓病を患う。
仕事なく今日も午よりもどさるゝすべなきもちて木原にあそぶ
みやこにはなにしに来けむ人ごとにすまぬことかけみちなき吾は
帰大牟田 大正9年4月に徳永サキ(キサ)と結婚
脚立たずいねつつすするぬるき粥日ながく病めば疎まれにけり
もろ脚のつよきしびれにもぐさ替へ灸すゑ田ゞらすすでにいく夜さ
死去 大正9年9月10日 享年 26歳 大正9年12号アララギ
くるしさのひまなき我やかくばかり宿縁ふかく生まれたるらむ
借り酒に酔ひて日頃のいきどおり我忘れたり人は聞けども (山口好遺稿より)
山口好追悼式
9月25日、久留米市国分町林松館において行われる。集まった人は
国武史郎、松井一郎(紫陽)、都合七作、古賀久雄、荒川秀峰、竹林末人の6名であった。
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