2013掲載の正保元(1644)年の絵図に見る「みやま市」周辺・千寿の楽しい歴史

正保元(1644)年の絵図に見る「みやま市」周辺

矢部川の堀替工事
嘉永15(1638) 年には鷹尾村が鷹尾と泰仙寺に分かれる。蛇行の下側に円形がある所です。
正保2(1645) 年には津留村が東津留村と西津留村に分かれた。この地図で蛇行しいる所です。
蛇行した右側の口の部分が直線に替えられます。
元禄5年(1692)の記録には右曲左折の矢部川を、大潮(おおしお・旧暦15日満潮時)には三百石船(45トン積み)、小潮(普通の日の満潮時)には百石船(15トン積み)が瀬高の浜まで出入りして大阪、その他に廻送(かいそう)されていました。
当時、黒崎から瀬高上庄にいくには七潮を要したと言い、3日半の工程でした。矢部川の七曲りと言われたほど屈折が多かったことが窺える。
田中吉政の慶長本土居(みやま市高田町分) 第2期工事として慶長12(1607)年完成する。
柳川の下に直線に下がり、直角に隈川に沿って上っています。これが、ほぼ慶長本土居です。
徳島字渡里~矢部川に沿って約300m南下~江浦町江浦の淀姫神社~国道208号線を2回横切る~江浦
小学校前~中村の綿津見神社~三開の高田漁協前~楠田川に架かる新三開橋を渡る~黒崎開の四十丁・
五十丁の集落(クリーク沿いの道)~開小学校前~厳島神社東横~直進して隈川~隈川に沿って上る~
国道208号線の「干渡橋」までです。
地図の江浦村・北新開・南新開の西側が慶長本土居です。
下側に黒崎山が海に突き出し、黒崎番所がある。左横の干潟地は現在干拓され、最西が海岸線です。
三里石
赤線が昔の道路です。柳川~徳益村~四十丁村~中島村で矢部川を渡る~渡里から江浦町までは慶長本
土居と同じ~西濃施村~渡瀬町~ここで隈川を渡り三池へ行きます。
渡瀬町の中に白の長方形の中に「三里」と縦書きされています。感動して、びっくりしています。
「元禄十四年筑後圓 ・・一里石」にも渡瀬町の中にあります。
下楠田村及び二川村に三里石の場所を確認できる記録は残されていません。
昭和9年に産業道路の拡張工事が行われた際に、路傍の「三里石」も邪魔物として掘り出されて、どこかに運ばれて置かれていたのでは、なかろうか?
終戦後、数年たったある日、福正寺横の裏井戸を消防ポンプの試運転を兼ねて、水をくみ出して井戸をさらえたことがあった。
終わった後で、写真家の富重氏が井戸端を見に行き、「三里」と刻まれた石を発見しました。
その他、いろいろな想像が湧いてきます。
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