人気ブログランキング | 話題のタグを見る
千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
竹久夢二をめぐりて・福田健夫随筆集より
竹久夢二をめぐりて・福田健夫随筆集より

京都時代の夢二先生と福井健夫   大正7年の写真

竹久夢二をめぐりて・福田健夫随筆集より_a0137997_2224731.jpg竹久夢二をめぐりて・福田健夫随筆集より_a0137997_223127.jpg


竹久先生が京都に仮寓していたのは大正5、6、7年頃の3年間ばかりでした。

その頃、先生が同棲していたのは笠井彦乃さんでしたが、彦乃さんに先生は「おしの」という名を与えており、彦乃さん自身も、その名を用いて手紙などには「しの」と書いておりました。

大正7年の春、岡崎公園の府立図書館で4月11日~20日までの10日間、展覧会を開きました。

先生の装丁になる吉井勇氏や長田幹彦氏などの著書が新潮社から2冊、送ってきていました。

夏休みには九州の郷里に帰り、雲仙嶽の温泉ホテルで休暇中、働くのがわたしの(福井)の習わしでした。

先生は長崎へ遊びに来て、そこから雲仙へ私を尋ねて来ました。

ホテルの別荘へ泊ってもらうことにして案内しました。

その別荘は伊藤白蓮夫人が、よく泊られる定宿でしたが、白蓮さんの歌集「踏絵」その他の装丁者たる先生にも縁があったわけです。

愛染と悲傷

竹久夢二をめぐりて・福田健夫随筆集より_a0137997_22375478.jpg私(福井)が夢二に「しんきゅう」したのは、大正6年から大正15年までの10年間ほどで、その後、彼の永眠までの9年間ばかりは、書信の往復だけでした。

信州の富士見高原療養所入院中のころは、幾度かささやかな見舞いの品を送ったり手紙のやりとりもしたが、一度も親しく慰問に出かけなかったことを、今深く後悔している。

一番身近に接していたのは、大正7年4月の京都における第2回個展開催中及びその前後の頃で、その個展(竹久夢二抒情画展覧会)のマネージャ役を勧め、寝食を共にした。

大正7年、別府で入院中の「おしのさん」は病癒えず、看護婦付き添いで寝台車で帰洛したが、2人の結婚を許さぬ「おしのさん」の父なる人から彼女は東京へ連れ戻され順天堂病院に預けられる。

翌大正8年の夏、私(福井)はその病院に「おしのさん」を見舞ったが、東京に帰住した夢二との交流も断たれて病み衰えた彼女のわびしい目付きを、私は今も忘れない。

彼女がその病院で永眠したのは翌大正9年1月、数え年で25歳であった。

福井健夫略歴

明治30年、大牟田に生まれる。旧制中学伝習館を経て(大正5年卆)、京都同志社大学経済課卒業(大正9年卆)。

共同通信社の前身国際通信社、三井銀行大牟田支店の前身三池銀行、三井鉱山三池鉱業所等に在職したが、教育会にありしこと最も長く福岡県立大牟田高女、同久留米高女(旧制)、同三池高校、学校法人大牟田高校(新制)等に通産43年間勤務した。







みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

 「観光振興などを重視した活性化を考えたい」と抱負を語った

「みやまの今週のニュース・出来事など」

みやま市観光協会公式WEB
梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

西日本新聞フォートサービスで梅野家庭園の写真(4月28日撮影分)を販売しています。

青輝園    御座敷梅   ユリ展    季節を楽しんで下さい。

私の目標   今一番大事なことは絆 を育てること。







by kusennjyu | 2013-05-28 23:22 | 芸術と文学・童話
|Topに戻る