江浦町の産業(酢と醤油、酒醸造・漁業・地主の町編) 「郷土江浦町」より。
5、酢、醤油
酢、醤油製造専業者は、江浦誌には明治12年に2軒と報告されていて、現在でも「醤油屋」と呼ばれている旧家がある。
大正10年に、三池郡在住の有志に依り「江浦醤油醸造株式会社」が創立され、大企業として操業を開始し、昭和20年、三池銀行と合併して、「三池食品工業株式会社」となる。
現在、商品は江浦工場と甘木工場で製造し、販売は「マルエ醤油株式会社」で、マルエの商標の下で売り出している。商品品目は10種目以上、何れも品質良好で世評も高く、九州中部以北各地に営業所を設けて販路広く、西日本有数の食品メーカとなる江浦町はマルエ江醤油で知られる様になった。
6、酒醸造
瀬高町では宝暦元(1751)年から酒造専業が始まっているから、江浦ではそれ以後の事と思われる。
明治7年、清酒醸造高156石8斗7升を二宮酒造より報告してある。
昭和初期4軒の造り酒屋があった。仕込み時ともなれば、丁字(垣原)まで飯江川を船で運んだ醸造用の清水を蔵男の若者たちがタゴに荷って運んでいたものだが、それも馬車運搬になり、又は深井戸を掘って汲み上げた。
昭和18年の企業整備その他の事情に依り暫時減少し、昭和36年頃より酒造は止んでしまった。
7、漁業
「漁業は大して盛んでないが、幸い海も近く堀も多いから鰻、鮒の収穫はかなりの多きに達する。とくに鰻は東京まで輸送されていた程で、江浦鰻の名で有名であった。
以上は三池誌に記載されているものである。思うに大正12年頃は江浦町では鰻を漁する家4・5戸であったが、江浦、大和町、柳川方面はもちろん遠く長洲、横島あたりより集荷をなし、春頃より秋期にかけ、東京、大阪方面へ汽車で回送し、それ以前は船による回送をしたものである。
昭和の初期頃までは光萬寺の前の流れに、水がかかる頃となれば、鰻生簀の大きな胴丸籠が7個も浸けてあったものである。
8、地主の町
元禄の頃より全国の生活水準が高くなるにつれ、商品経済が強くなった。物価高騰や租税負担又は天災、災害などがある度に、百姓経済は苦しくなり、上下の差を生じ、小農の中には農地を手放す者が多くなり、土地は富豪や豪商に集中していった。(武士の生活)
江浦町でも、大地主、小地主が出来、地主の町と言われた。又博多や大阪あたりから大地主目当てに商に来る者が多かったので各地の流行、情報など流していったものと思われる。
昭和5年、土地売買の制限が解除されるに及んで、地主の地位はさらに固まって行った。そしてこれは昭和21年農地改革法が公布されるまで続いた。
次回は江浦町の文化を紹介します。
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