江浦町の民話(木の葉の銭・とんさんと江浦町・雨蛙の泣き声編) 「郷土江浦町」より。
木の葉の銭
魚売りの磯さんが遠くまで魚売りいかしたげな。日暮らししてショウコンベシ(庄近林)の近くまでこらしたところが暗ろうなり始めていたげなたん。
暗ろうなると、だーん通らん淋しか道になるけん急いで帰ろうとしたら後ろから「魚売りさん魚持っとるかーん」と言うので振り向くとお婆さんが後ろに立っとらしたげなたん。そして売れ残った魚は全部買うばんといわっしゃるのでそんなら大―まけで安くしとくたんと言わしたげなたん。
入れもんば持って来とらんけんここに置いてくれんのと言って、葦の葉ば10枚ばかり取って道に広げさしたげなたん。そっで魚ば全部、葦の葉の上に置いたら、お婆さんはきんちゃくから銭を出して気前よく払わしたげなたん。
磯さんな全部魚が売れたけん喜こうで後ろも振りかえらんな帰ってこらしたげなたん。急いでおーこと魚籠を入り口に置くと行灯の側によって銭ば数ゆうでつ前掛け袋に手ば入れさしたら何か手触りの違うけん、よーっと見さしたら全部木の葉じゃったげなたん。
すっかり狐に騙されて魚ばただで取られて1日素働きでがっかりしとらしたたん。ばってんあくる日、又磯さんな魚売りに出さしたげなたん。そして昨日、庄近林で魚ば売って化かされたところば通ってみさしたら魚は全部無くなっとった。ばってん魚を置いた葦の葉の上にには狐の葉ば山んごつしとったげな。
とんさんと江浦町
1・慶応年間頃までとんさん(殿様)が通られる時は道路に砂を撒いて清めていた。その砂は竹飯まで取りに行っていた。
2・江浦町より3日毎に柳川の侍の家に米つきや薪割りに苦役で行っていた。
3・柳河城が炎上したのは廃藩となり庶民に城内を踏まれる訳にはいかないと言う武士のプライドでわざと火をつけたと言われていた。城のか火災で柳川中の瀬戸物が割れたと言われていた。
4・死後硬直した場合、柳川のお城の砂を死体にかけると硬直が直ると言われていた。そのようにとんさんの力は偉大であった。
5・ごしんさんくずしと言って明治維新とともに金持ちの家を襲い、米などを持ち出し中には肥たごに金銭を盗んで持ち出したりした。
6・上納米は1粒づつ選別して納めていた。
雨蛙の泣き声
麦の取り入れが終わり田植えの準備が始まる頃、ぼつぼつと雨が降り出すと一斉に蛙が鳴き始め、何か物悲しさを感じます。知り合いの古老の方から次のような話しを聞きました。
或る川のほとりに母さん蛙と息子の蛙が住んでいました。息子の蛙は母さん蛙が右と言うと左と言う親不幸の蛙でした。
母さん蛙はいつも息子の蛙が反対ばかり言うので、心配のあまりとうとう病気してしまいました。母さん蛙は日頃から若し死んだら川の見える見晴らしのよい裏山に埋めて貰いたいと思っていました。
しかし、息子の蛙が反対ばかり言うので、いくら頼んでもきっと反対の場所に埋めるので川のほとりに埋めておくれと言えば、山に埋めてくれるものと思いました。
そして病気がだんだんひどくなり、いまわの際に息子の蛙を枕元に呼んでこう言いました。お願いだから「私が死んだら川のほとりに埋めておくれ」と言ってとうとう母さん蛙は亡くなりました。
息子の蛙は裏山に埋めようかと思いましたが、こんどこそ母さん蛙の最後の頼みだから親孝行のつもりで、川のほとりに埋めてしまいました。
そのため息子の蛙は雨が降り出すたびに、川が増水して母さん蛙の墓が流されてしまうのではないかと、心配で心配でなりませんでした。それで雨が降り出すと心配のあまり蛙が泣くのだそうです。
おしまい。
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