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千寿の楽しい歴史
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2013梅野家の歴史(みやま市瀬高町女山)・千寿の楽しい歴史
梅野家の歴史

みやま市瀬高町大草字女山

1・菅原道真と天満宮(福岡県の歴史・光文館より)

(1)菅原道真の左遷

延喜元(901)年、右大臣従二位菅原道真は、とっぜん太宰権師(だざいごんのそつ)に左遷された。
道真の子息も長男高視以下流罪になり、父子は五所に分かれて流された。

延喜3(903)年2月15日、道真は59歳をもって没した。遺骸は御笠郡四堂の辺に埋葬しようとしたが、それを運ぶ牛車が途中で動かなくなったので、そこに埋葬したと伝えられ、それが安楽寺(天満宮)のおこりであると伝えている。

(2)安楽寺天満宮の発展

安楽寺と天満宮は、神仏習合のこの時代には同一の存在で、安楽寺天満宮・天満宮安楽寺・安楽寺聖廟などと表記されている。

道真の墓を覆う形で、弟子の味酒安行(うまさけ・やすゆき)によって建立されたとされているが、道真の没する前から寺があって、道真はその寺に葬られたとする説もある。

死後において道真は、延長元(923)年・正二位右大臣、正暦4(993)年・正一位左大臣、さらに同年・太政大臣を贈られ、名誉回復が完全になされた。

安楽寺を統括する別当(べっとう)に、天暦元(947)年・道真の孫平忠が菅原氏の推挙で就任し、続いて従父弟の鎮延が選ばれたが、彼は天徳3(959)年、太政官符によって別当職に追認された。

官の辞令によって別当が任じられたというのは、菅原道真をまつる菅原氏の私寺であった安楽寺が、官寺的性格を有するにいたったことを意味する。

(3)平安時代の安楽寺領(福岡県内)

朝野の道真崇拝は天皇をはじめとする安楽寺堂塔の造営をもたらし、同時に荘園の寄進を増進させた。

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上表で成立年次とあるのは、寄進その他によって安楽寺領になった年ないし寺領としての初見の年で、荘園そのものの成立した年ではない。

現みやま市内には、山門郡飯得荘(高田町飯江)と山門郡長田荘(瀬高町長田)の2箇所があった。

2・梅野家のルーツ(梅野家の家系) 「傘寿を迎えて(梅野茂芳著)より」

 家系図によれば、梅野家は菅原道真の末裔である。菅原家の祖先は天穂日命であり、後に大和国菅原之里に居住していたらしい。道真公の娘さんが菅原若狭守在忠に嫁ぎ、その子供が菅公の寵愛を受け、菅公より幼名を多門淳信と名付けてもらった。その淳信が成人して酒見教光という人物の養子となり、男子を儲けたのでその淳信に酒見家を相続させた。しかし、姓を梅野と改め、家紋の三つ柏も梅の花と改めたのである。

 即ち淳信こと、梅野左衛門菅原淳信が梅野家の初代である。降って梅野家22代梅野孫兵衛、菅原信経の長男、梅野長石衛門尉菅原信高は、天正年間(1573~1590年)筑前黒田公に仕え、新地八百石を領し、大物頭に任じられ福岡に住むとある。

 その弟で二男の梅野孫兵衛菅原信利が、寛永2(1625)年、柳川領大塚郷女山千手尊の下に分家し、本尊天満宮を建立、尊敬世を渡る家系図に記載してあり、この人が分家の初代である。その子、梅野孫兵衛菅原信時が、正保元(1644)年・領主立花公に仕え、家老由布九郎兵衛殿に引き立てられた。

 女山に居住してから五代目に、梅野六之平菅原信勝(法名指月院殿一峰釈素禅居士)を梅野家では中興の祖先として尊敬し、家門の誇りとしているが、ことに享保17(1732)年と14年後の延享3(1746)年の2度にわたる九州一円の大飢饉に際し『全財産を投じさらに長崎まで出かけて、金策などしてき飢民の救助に尽くし、玄米、雑穀を出すこと千二百余俵、金銀を施すこと千数百両、作馬を与えること八十九頭』とあり、藩主もその義挙に感動し、身分、格式を進め、かつ長田山を賜り、その殊功を賞されたのである。

 また、清水観音のある本吉に、20軒の商家を新設して地方繁昌を図ったり、道路標識の石柱や橋梁、例えば元大塚の宮前、返済川筋に架かっていた眼鏡橋、これは灌漑排水事業のため返済川も改良されることになり、清水谷下流に移転された。これも信勝の投資によるものである。 さらに公共事業や慈善事業に私財を投じた。

 私(茂芳)は梅野家の初代から数えて34代目、女山に引っ越して来た分家の初代、即ち梅野孫兵衛菅原信利からは12代目、中興の祖先信勝からは8代目に当たる。

 私の祖父梅野六之平菅原信周は、腸チフスにかかり36歳で亡くなったそうだが、祖父六之平菅原信周銘入りの道標が、今も黒岩と藤尾などに残っている。また、幕末に柳川藩士として奥州征伐に従軍した時の日本刀をさした記念写真も残っている。

詳しい歴史は梅野家の歴史1・2・3に分けて上げています。

現在のの当主は13代目  梅野泰生(梅野家歴代では35代目です。)

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by kusennjyu | 2013-08-16 20:53 | みやま市の歴史 |Topに戻る