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千寿の楽しい歴史
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2013ハゼと木蝋の歴史・千寿の楽しい歴史
ハゼと木蝋(の歴史)1992年    

福岡県・福岡県特用林産振興会発行

(1)福岡県

わが国で最もハゼ栽培面積の多かった福岡県では黒田藩(福岡)、有馬藩(久留米)、立花藩(柳川)、小笠原藩(小倉)のいずれもがハゼ栽培に力を入れた。

黒田藩は江戸時代の中頃からハゼ栽培を奨励し、各地の代官を通じて、ひたすら増産に力を入れた。そのため生産量は他藩を圧する盛況であったが、ハゼの劣悪種も多く、後には薪に伐採されるものも多かったと言われている。しかし、筑後に近い南部地方では、山家のヌメラハゼ、朝倉の徳エ門ハゼなどの優良系統も出て、質の高いハゼ栽培地帯も形成された。また、嘉穂郡嘉穂町千手には平迫ハゼという独特の優良なハゼが今も存在している。

享保15(1730)年、高橋善蔵(那珂郡山田生まれ)は薩摩および肥前より、その栽培法を伝え、一生ハゼ栽培普及に努め、晩年その経験に基づき「窮民夜光の珠」を著した。この本はハゼ栽培法全般について詳細に書かれている。特にハゼの接木法や、接木苗のつくり方を示したのは本書が最も古いと云われている。ハゼ実の収穫を増やすため、樹形の剪定誘導まで示していることは、ただ感服する次第である。

久留米市山本町の天然記念柳坂のハゼ並木は寛保2(1748)年ころ植えられたと云われている。また、久留米藩は寛延2(1749)年、薩摩より枦苗1万本購入し、栽培技術を筑前(黒田藩)より学んだ。

筑後の有馬藩、立花藩もよく枦(ハゼ)栽培を奨励し、台地面、道路、堤防、田畑畦道など、くまなく栽培した。特に多くの篤農家を中心にハゼの品種改良(選抜)に努め、小郡の伊吉ハゼ(内山伊吉氏の発見)、浮羽郡亀王村の松山ハゼ(竹下武兵衛氏名付け)の優良種を作り出し、普及して後日の日本一のハゼ生産地帯を作りあげる基礎となっている。

福岡県の苗木、植木生産の沿革に、天正4~5(1833~1834)年、浮羽郡水分村大字殖本の秋山勘繰九郎氏が三井郡旧小郡村より伊吉ハゼを導入普及したとされている。現在日本一の苗木の生産地帯である田主丸、久留米の苗木づくりはハゼで始まったようである。

小笠原藩もハゼ栽培の奨励を行ったが、他の三藩のようには発展しなかった。しかし、各地にハゼの古木を見ることが出来るので、一時はかなり植栽されたものと思われる。

(2)鹿児島県

鹿児島県のハゼ栽培は、わが国では栽培の始まりと云われるほど古く、「永禄の頃(1558~1570年)、根占領主弥寝重長枦を植え、垂蝋を創むと伝える事実あり(薩摩の文化)」、
「天正の頃(1573~1592年)、弥寝重長が渡唐の商船に託して枦苗を取寄せ、初めて小根占に植栽したと云う(鹿児島県史)」などの記録もあり、藩としても元禄年間(1592~1595年)から奨励し、野生種の保護とハゼ新種に努め、約50年後の元文~延享(1736~1744年)の頃には、ハゼのない部落は存在しないほどであった。その後、「延享5(1748)年、生蝋が下落し、ハゼ栽培が冷却して伐採する者が多く、藩は奨励に努めたが回復に至らなかった」ようである。しかし、指宿、肝属地方では後年まで栽培が続けられた。平右エ門、正左エ門などの優良種も創り出され、土地名のついた桜島ハゼ、小川ハゼなどもある。

(3)佐賀県

佐賀県では鍋島藩が延享の頃(1744~1747年)からハゼ栽培を奨励し、ハゼ実を藩で買い上げ、藩直営の製蝋所を開設した。最も盛んな頃は1000haに及び、優良種の植栽に努め、藤津郡あたりから出たと云われる辰江ハゼがあった。

(4)熊本県

熊本県では細川藩がハゼに力を入れ、享保9(1724)年、飽田郡春日村にハゼ実1石9斗を捲き、苗木養成し、各地に苗木を分植した。延享元(1744)年に枦役人を置き、翌年には小倉、柳川藩の栽培状況を視察し、本格的にハゼ栽培に力を入れている。終戦まであった肥後製蝋株式会社はもともと藩所有のものであった。

(5)大分県

大分県は約200年前、大隈よりハゼの良種を移入し、速見郡日出町付近に植栽培して、漸次、国東半島から宇佐方面に広がっていった。上田春荘(宇佐郡上田村生まれ)はハゼの殖産に努め、指導者としても優れ、毛利、小笠原、延岡藩とも交渉し、「枦樹育伝百ケ條」を著している。日田地方では筑後の松山ハゼを導入し、良質の木蝋(日田上掛け蝋)を産した。

(6)長崎県

島原藩がハゼ栽培に力を注ぎ、延享4(1747)年、松平藩主は10万本の植栽を勧めたりしている。また大村藩にも栽培されていた。島原市千本木に昭和福ハゼの原木がある。樹齢約200年位で、わが国のハゼの主力品種である。それより採られた苗木をもとに全国に広まった。前回の雲仙大噴火頃生まれた原木は200年後の現在また雲仙噴火にさらされ、全国のハゼ、木蝋関係者が心配している。

(7)宮崎県

宮崎県は小藩がいくつもあって、各藩がハゼの奨励に努めたと思われ、各地にハゼの栽培によると思われる古株がある。特に、飫肥藩、延岡藩に奨励の記録がある。

(8)山口県

長州藩は天和元(1681)年、薩摩よりハゼを移入し栽培した。毛利藩の標語に三白一蝋(米、麦、栗、枦)なる名称がある。他の作物との関連もあったと思われるが、枝葉が茂るため普及していない。享保までに中断するとある。

(9)和歌山県

元文元(1736)年、紀州藩の田中善吉が官命で薩摩へ甘藷苗を仕入れに行った時、ハゼ栽培の有利なことを知って、その種子を持ち帰ったのが栽培の始まりと云われている。その後、藩の保護奨励によって、10年後には有田、日高、海草の3郡で22万本が植栽された。続いて、九州、中国より優良品種の移入と大西氏により葡萄ハゼの発見で、更に普及し、後年次第に減産となっている。

(10)愛媛県

愛媛県では寛保2(1742)年、内子町にハゼが植えられている。延享2(1745)年、宇和島藩では九州よりハゼの種子を取寄せて配分したと云われ、松山藩、大州藩も九州、中国より種実や苗木を入れて奨励したため、30~40年後は飛躍的な生産地となった。また、品種改良にも力を注いだため、王ハゼ(周桑郡中川村)、利太治ハゼ(西宇和郡宮内村 平家利太治氏の発見)など地元選抜の優良品種がある。

以上のように各県におけるハゼ栽培の始まりと普及は藩の力によるところが大きかった。

江戸時代半ばになると、京都その他の城下町では都市が繁栄するにつれて夜間生活も拡大し、菜種油より便利なローソクの消費が増加し、一方男女とも使用するビン付け油の消費も増大していった。

このような木蝋の需要の高まりと貨幣経済の浸透ならびに享保17(1732)年の大飢饉により財政の不足を補おうとして、元文以降(1736年~)、西南諸藩が本格的にハゼ栽培に乗り出した。

このように述べるとハゼ栽培、木蝋生産は藩の力でうまく農民と組み合っていたように思えるが、時として藩による過酷な強制、重労働と搾取があった。有馬藩は、宝暦4(1754)年、ハゼその他の商品作物と生産に必要な物資の自由な流通ならびに農村生活を縛る統制の排除を求め、農民の大規模な一揆が起こっている。
また、肥後藩では文化3(1803)年、9年、天保2(1831)年、5年、7年、9年、10年、ハゼ実の相対売買、枝売枝買の禁令が出されているが、専売制に対する生産者の抵抗の結果と云われている。その他、黒田藩、宗藩(対馬)、鍋島藩でも生産者と藩との揉め事が起きている。

明治になると人々の頭髪も少しづつ型が変わり、ビン付け油の需要が減少し、一方では新しい農業作物が移入され始めてハゼ栽培に影響するようになった。さらに大正時代に入り、電燈が普及し始めたためローソクの需要も徐々に減じ、また中国大陸より安いウルシ蝋の輸入もあって、木蝋の価格も下落し、ハゼの生産減少に拍車をかけることになった。この傾向は昭和の始め頃まで続いている。

このような情勢の中で、全国木蝋業連合会はハゼ増殖の動きを以って大正13年に結成されたもので、苗木の無償配布を行った。さらに昭和7年、農林省は農村振興の一助として、ハゼの増殖に乗り出し、県も奨励した。その結果、ハゼ実の生産も昭和13年頃は減少の一途から横ばい~やや上昇に転じた。その後、第2次世界大戦になって、食料増産、薪などの燃料不足でハゼの伐採が進み、ハゼ実の生産が半減した。戦後、諸物資の不足によってハゼ実、木蝋も高騰し、木蝋時代の再来かと期待されたが一次的なものに過ぎなかった。昭和20年代後半になると、安価で大量生産されるパラフィンなど石油化学製品の影響により価格が低迷した。

一方、農村においては、日本経済の立ち直りから集約的農業生産、ミカン、ブドウ、カキなど果樹団地造成、道路の改良・拡幅・新設、堤防改良など農山村地帯の基盤変動によって次々とハゼ林が消失して、昭和40年頃には戦後の一割近くまで減少し、現在に至っている。

ハゼ実生産量(表2-2)(表―3)

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以上。






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by kusennjyu | 2013-09-05 02:38 | みやまいいまち会
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