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千寿の楽しい歴史
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2013筑後柳川「沖の端」の寺社巡り(川北1)・千寿の楽しい歴史
筑後柳川「沖の端」の寺社巡り(川北1)   

筑紫町(正段・しょうだん) 講師 横山正司氏

平成25年9月17日(火)午前9時~12時45分  

参加者  約40人

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筑後柳川城下町沖端町絵図   

明治元(1868)年柳河名称図絵です。中央の運河の右側が川北で、左側が川南です。

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柳川の海岸線の変化と沖端川・塩塚川

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旧沖端川の川筋が点線図で蛇行している(地図の沖端川と書かれた右側の部分です)。

田中吉政公時代に西側(昭代浜武)に本流を迂回する。

西横町の西側が「土居の上」と地元では呼ぶから、元は堤防であったと伝える。

現在の筑紫町正段付近の地図

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江戸時代の筑紫町正段付近の絵図

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正段島は元は三潴郡浜武村の一部であった。田中吉政が掘り替えて西側に迂回した。それ以後、正段島は山門郡に入った。

正段島村には船方が住んでいた。柳河藩の水軍基地として、「御船方」(1680年)「南方」組員26名、「北方」22名で合計で241名の船乗りで構成されていた。

①九社宮神社

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九社宮神社は九柱の神を祀る。旧藩の頃の神官は浜武村から来ていた。

海の神様で、建立年月日は不詳であるが、江戸時代であろうか?

船製造小屋と沖端川

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嘉永6(1853)年、江戸幕府は大船製造の禁を解いた。柳河藩は6艘の大船を持っていた。

稲荷町の横山造船所は江戸初期、柳河藩主の要請で紀伊の国より招聘され沖の端に住み「軍船」を製造した。

現在、正段にある横山寛治製造所は先祖代々を継ぐ12代目の船大工棟梁である。(講師の横山正司宅の分家だと言われます。

昔の正段の土居は栴檀、松、楠、葦、すすき、竹やぶ等で茂っていて、夜はタヌキ、キツネが出ると云われ、「正段のガネの穴」は有名です。それほど堤防にはガネがいました。

②等應寺

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菊池氏没落の後、その族、納富(のうどみ)氏の兄弟3人が筑後柳河に入る。1人は正段に住み、1人は麹屋町に住み、1人は真勝寺の傍なる正応寺に入りて僧となる。

のち西派に帰依して正応寺を出て正段に一寺を創立する。寛永7(1630)年、京都御本山より本寺号を賜わる。

水門   江戸時代に沖端川を掘り変えるまでは正段島だった南端

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旧川筋の沖端地区(筑紫町)は一番の低地帯でで現今も浸水する。沖端川に送水するポンプ工事が最近、完成したようである。

次回に続きます。








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by kusennjyu | 2016-06-28 07:19 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策
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