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千寿の楽しい歴史
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2013筑後柳川「沖の端」の寺社巡り(川北2)・千寿の楽しい歴史
筑後柳川「沖の端」の寺社巡り(川北2)
   
平成25年9月17日

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旧立花氏御別邸跡地(道路の北側)   

現代地図で橙色で塗ったところ。

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志賀神社

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祭神は底津、中津、表津、3柱の神、筑前志賀島明神を祭る。天正16(1588)年、豊臣秀吉は九州の国割りの総仕上げを行い6月11日に、立花左近将監統虎に対し、柳河の13万2千石余の領地を与えられた。当時は肥前龍造寺政家が管理していた。

筑前立花城より柳河移封土時、この地に遷座せらる。6代鑑通公は心願ありて用心をして代参せしめられる。同所は往時の藩主座乗の船を繋留せし所なり。

神社周囲は堀に囲まれ、等応寺東側の旧沖端川につながっていた。

ひょうたん池と土居の上  川下りの水はここの水門から落ちます。

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二宮神社

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稲荷町の二宮大明神「二宮神社」・・・天正9(1581)年建立

祭神は柳河城主、蒲池鎮並および弟の統安の2柱とする。

当神社の由来は、今から432年前の戦国時代、天正9(1581)年6月16日、柳河城主、蒲池鎮並は佐賀肥前の龍造寺孝信によって佐賀に誘い出され謀殺される。柳河城を死守した弟統安も戦死し、一子蒲池宗虎丸は沖端の漁師の家で殺害され、柳河城ほか子城も落ち下蒲池氏一族は滅亡する。

戦後、当柳河地を治めた龍造寺孝信、政家父子一門に度重なる不吉の吉兆等が起こるので、肥前の龍造寺孝信方は鎮並、統安など一族の霊を慰めるため、この稲荷町に社を建立し、その冥福を祈る事となった。

参道には漁師町らしく、縁起の良い亀に乗った「浦島太郎」とか鶴の石造物があり、当神社を信仰する町民が海に生活を求める漁師の人々、そして造船所など海に関する「柳河城下町沖の端川北」の姿は昔のままである。

二宮神社横の公民館で講義がある。  

講師の家は公民館の東側です。

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土居の上  地図の中の茶色で塗ったところ。

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十一面観音堂  小さな町に1つは神様が祀られています。

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江戸時代、村も町も集落は神に守られた共同体であった。二宮神社は集落の端に神社があり縁起のいい南向きで、参道は極めて短く、参道入り口の鳥居から南方向には2本の道が延びて北町通りに出る。集落の殆どが漁師町の景観は大変珍しく、町名も「西横町通り、北町通り」と江戸時代から云う。

二宮神社の東側は、その名の通り「東横町」である。傍らに柳河藩御用船製造の横山造船所もあり、因みに藩主より、この地に「初代横山勘太佐衛門」が拝領封ぜられたので、「横町」と称するようになったと先人よりの口伝である。

次回に続きます。





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by kusennjyu | 2013-09-19 13:56 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策
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