ぎんちよ(誾千代)伝
歴史講座より。 平成25年9月26日 講師 立花家資料館 資料室長 植野かおり氏
CLEBA(クレバ) Vol。54 女郎花号より。
※上の写真の特別展は終了しています。
誾千代の生い立ち
誾千代の父・戸次鑑連(べっき・あきとら)
戸次道雪と立花山城 植野かおり氏資料より。
近世大名・立花家の祖となる戸次鑑連(後に入道して道雪と称す)は、永正10(1513)年、豊後国大野郡の藤北鎧岳城に生まれました。
大永6(1526)年には戸次家の家督を継ぎ、天文19(1550)年には、その家督を甥の鎮連に譲ります。
永禄11(1568)年、立花城主の立花鑑載が主家の大友氏に謀反を起こしました。鑑連は臼杵鑑速、吉弘鑑理らと共に立花城を攻め、ついに鑑載を敗死させます。その後、立花城は筑前へ来襲してきた毛利氏の手に落ちます。
大友・毛利両氏の激しい攻防戦の後、永禄12(1569)年に両者に和睦が成立し、再び大友氏のものとなります。
鑑連は、元亀2(1571)年に大友宗麟によって立花城の城督に任じられ、同城に入城します。
宗麟は立花姓を名乗ることを許さず、終生、戸次姓を使用しています。
大友義鎮の権勢と戸次鑑連の台頭
大友氏の城の配置図
わずか7歳で城主に!
誾千代姫が生まれたのは、戦国時代末期の永禄12(1569)です。
戸次道雪には後継となる息子がいなかったため、一人娘でわずか7歳の誾千代に男性当主の相続と同じ手続きを踏み、城や領地、諸道具の一切を譲ったのです。
思い出多き「立花山城」
誾千代が譲り受けた城は、今の福岡県糟屋郡の新宮町と久山町、福岡市東区の境にある山城で、標高367mの山頂から玄界灘や博多湾、それに博多の街まで見通せるという絶好かつ重要な場所にあります。
続きます。
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