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千寿の楽しい歴史
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2013大川歴史講座で大川市と佐賀市川副町を訪ねて(大川市)・千寿の楽しい歴史
大川歴史講座で大川市と佐賀市川副町を訪ねて(大川市)  

平成25年11月30日   

参加者 20名 マイクロバスにて


風浪宮 出発前にお参りする。

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大川市立清力美術館    

福岡県大川市大字鐘ケ江77-16 TEL 0944-86-6700

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上5枚はパンフレットより。下は建物を撮影したものです。

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建物の概要 パンフレットより

この建物は、清力酒造株式会社事務所として初代社長中村綱次を施主とし、筬島傳太郎が大工棟梁を勤めて明治39(1906)年11月に着工し、明治41(1908)年に建築されたものです。

建物は木造二階建ての洋風建築と和風平屋の倉庫部分から構成されています。外壁は白一色にペンキが塗られ、屋根は寄棟で、当時は瓦葺となっていました。

正面の玄関ポーチにはヨーロッパの古典建築様式を用いた角柱や柱頭の繰り型彫刻など豊かな装飾が見られます。玄関ポーチから内部へ入った一階周りは通り土間を中心として右手西側が洋風の造りを基本にするのに対し、左手北側は日本の伝統的な町家の造りで、洋風と和風が共存する極めて特徴のある室内となっています。

二階の広間は幾何学模様の格縁天井が華やかで、とりわけ扉やカーテンボックス、シャンデリア、家具調度などの装飾が目を引きます。

二階の広間は昭和30(1955)年から昭和61(1986)年にかけて「清力美術館」として公開され、多くの美術愛好者に親しまれてきました。

平成8年に大川指定文化財に指定され、平成12年度に修復工事を行い、平成13年6月より「大川市立清力武術館」として開館いたしました。平成15年2月には福岡県指定文化財に指定されました。

道海島 大川歴史講座資料より

三又地区の道海島や潟島(川端通り)の開発は、中古賀の緒方将監(しょうげん)の開発と云われています。中古賀の庄屋であった「塩川家由緒」には「緒方将監、右の者、中古賀村開き方の儀、干出潟(ひだしがた)に葮生出(よしはえいで)候を文禄元年葮踏(よしふみ)、慶長七年、田方二十七町開立(ひらきたて)、潟島と名付け、此の所中古賀村開方始めに御座候。」と記されています。

「干潟に葮が自然発生してきたので、文禄元(一五九二)年に計画的に葮の植生を始め、潟の堆積を図る。」という意味で、当時干拓地の所有権を明確にするためには、葮(葦)を植え付けることにあったそうです。中古賀の「速 行寺縁起(そくぎょうじえんぎ)」には、干拓した土地の所有権をめぐ肥前領の者と戦って追い払い、その土地を道海島と名付けたと記されています。将監は、中古賀、道海島の二つの島を始め、農耕を進め、村人を養い、安心して暮らせるようにしていきました。

将監は、寛永17(1640)年に病気で亡くなりましたが、村人たちは、将監への感謝の意をこめて、中古賀に神社(中古賀神社)を建てて祀りました。

道海島の開発は、緒方将監の功績だと云われていますが、「筑後封植禄(ふしょくろく)」には、浮島村、芦塚村、道海島村の干拓は、田中吉政の有明海沿岸土木工事を背景として達成されたと記されています。

若津港 大川歴史講座資料より

18世紀になると久留米藩が若津港(宝暦元年、1751)、柳川藩が住吉港(安永3年、1774)を筑後川河岸築港するので大川は水運王国が到来する。特に若津港は羽犬塚より、遊女を移し、文化年間、田主丸の豪商・手津屋庄助が、江戸、大阪に至る海運業を創始したことから、有明海北岸の華やかな港町に成長していく。当時、海難救助、船員の生活必需品や輸送商売の仕入れ販売の世話をする船宿が23軒を数えたという。(手津屋庄助伝)

幕末になると久留米藩の財政改革として、蝋、紙、種油、茶、染め藍などの商品作物の流通に藩が介入し、藩の財源とした。この政策を担当する役所として若津会所を設置し、倉庫業まで営むようになる。この財源で西洋の軍艦7隻を購入し、右馬之丞を基地として新海軍の育成に乗り出す。そのため、幕末の若津港は久留米藩の軍事殖産興業の基地となっていく。

佐賀市川副町に続きます。





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by kusennjyu | 2013-12-02 13:20 | 歴史学習会
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