大牟田市の地名に見る干支・上内に御神馬あり 有明新報(平成26年1月1日号)より。
躍動感あふれる
御神馬(ごしんめ)の像が印象的な大牟田市上内の
上内八幡宮(矢野高貴宮司)にあります。午年を迎え、その勇姿がますます注目を集めます。
応神天皇の神霊である「八幡さま」がまたがる御神馬。同宮では東側の参道を向いた神馬像が参拝者を迎えています。
現在の像は2代目で、最初の像は昭和3年10月、氏子の西山文一郎さんが昭和天皇の即位を祝って奉納したものです。しかし、太平洋戦争が激化する中、ふんだんに銅を使っていた像は軍の要請により供出され、昭和17年7月31日、惜しまれながら姿を消しました。
それからちょうど52年後の平成6年7月31日、西山さんの長男、文義さんら兄弟12人とその縁の人たちが奉納したものが現在の神馬像です。高さ2.7mの錫(スズ)製で、初代の写真を基にし、富山県高岡市で製造されました。腹部には同宮の神紋「上り藤」がさん然と輝いています。
地名に見る干支
大牟田市内の地形や故事に由来するといわれる地名。今年の干支「馬」の文字がついた町がいくつかあります。
まずは駛馬(はやめ)町。
最初の駛に走の文字を続けると「しそう」と読み、馬が早く駆ける様を表わす熟語になる。隣接する宮原町には駛馬天満宮があり、「うそ替え」行事で知られる春と秋の例大祭は多くの参拝者で海内は賑わいを見せます。
ここの宮司さんは明治時代にみやま市高田町田尻から大牟田へ移られた田尻氏です。三池郡の北郷(高田町)と南郷(現大牟田市米生地区)の両方の宮司をしていました。
田尻氏については次の通りです。
田尻の森山宮の裏山一帯は、戦国期田尻氏の居城田尻(飛塚)城の址といわれる。戦国時代の九州の武将、田尻氏は大蔵党一族と呼ばれ活躍しました。
田尻氏初代の実種は平安時代の末期頃に筑前国から筑後国三池庄田尻邑に移り住み田尻三郎と称したのが始まりで森山宮を勧請し、代々田尻家の氏神と尊崇しました。
田尻親種が大友義鑑から山門郡の鷹尾に250町の知行地を与えられると、矢部川河畔に新しく鷹尾城を築き、これに移りました。
天正12年、竜造寺隆信から佐賀郡巨勢に知行200町を宛がわれ移り、その後、伊万里に移動しました。平成6年には鑑種公400年忌法要があり、ゆかりの地である田尻を訪ねて来られました
田尻氏末裔の松浦一酒造の当主が住んでおられ、河伯さまの神棚を作り、この蔵を守ってくださる水神様としてお祭りされ、見学できます。
現在は田尻城跡地に昭和8年の開墾記念碑が建ち、みかん山となり、一部は竹林が生い茂っています。
馬込(まごめ)町 駛馬町の東南東の諏訪川沿いに広がり、隣には
馬場(ばば)町があります。
川を挟んだ対岸の沖田町を結ぶ橋の名は、「
馬沖(うまおき)橋」です。
駛馬町から米生町の高台を越えた東には
馬渡(まわたり)町があります。三池炭鉱が閉山する前は社宅が建ち並んでいた一帯で現在は住宅地となっています。
大牟田の地名は石川保氏が詳しく調べて本にされています。
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