夜打曽我(下) 大江天満神社奉納の幸若舞 平成26年1月20日(月)
ツメ ここから舞台をたすきに回ります。
「コトバ」刀はきばさんで、かたきのけごをしづかにみてぞとうりける、先ある屋形を見てやれば、太鼓つづみを打ちならし、どめいてあそぶ屋形もあり、又ある屋かたを見てやれば、明日た鎌くら入あるべきなりと申して、馬のゆあらいに乗し、ひしめく屋形もあり、角見てとうれば、あまりこくうぞんち、東へまわって、家家の、まくのもんのぞみたちける、先壱番に釘ぬき、松かわ、木村ごう、かの木村ごは、三浦の平六兵衛、吉村の紋なり、石だたみは、信濃の国の住人、
「カカリ」念美の大武大弥太、
「ツメ」扇は浅利の与一、舞たる鶴は、伊原左衛門いをりの内に、二ツ頭の舞たるは、駿河国の住人天地天皇の末孫、竹の下の孫八左衛門、いたら貝は岩長党、あみのては須賀伊藤、大須ながしは安田の三郎、月に星は千ば殿、から傘は名古屋殿、団扇の紋は小玉党、裾黒にうろこ形は北条殿の紋なり、つなぎ馬相馬、折鳥帽子立て烏帽子、大壱大馬大吉、白壱文字、黒壱文字は山の内の紋なり、十文字は島津の紋、車は浜の龍王の末孫佐藤の紋、竹笠は高橋党、桔梗輪ちがい、花打椿、三本からかさ雪折竹、二ツへいし川越、三ツへいしは宇佐美の左衛門、二ツがしわの右巴は小山の判官、三つがしわの左巴はう津の宮の弥三郎友綱、かむら矢伊せの宮形水いろは時殿、四目結は佐々木どの、中白は三浦の紋、父母どのは小紋村ごう、わり菱は武田の太郎、梶原は矢羽ずの紋、下白は御所の御幕也。
ツメ
フシが舞方3人の平面的移動であるのに対し、ツメは太夫が舞台を鼓形に動き、朗吟を盛りあげる。フシと違いツメは歩行体で舞う。シテ、ワキは袴をつまむ歩行体で、右手の扇を開き、静止している。太夫は扇を開き持ち鼓と掛声にあわせ舞台を鼓形に進み朗吟してゆく。内容は続きの良い文章を割合早いテンポでリズミカルに謡って行く。
太夫の歩行は、フシよりは全体に小きざみでやゝ早く、鼓に合わせ足を踏みならすが、強く弱く早く遅くと朗吟の強弱テンポによって足踏みをあわせることが大切である。この足拍子は先学の人たちは「
返閇(へんばい)」と称する古い時代から行われている厄払い法が芸能化されたものと解釈している。
まず左足から踏み出し、舞台全面まで進み右におれ下手後方の角へ向う。さらに上手幕横を平行に歩き、一番前のところで上手後方にの角へ向う。さらに上手幕横に平行して、又斜めにおれる。つまり、舞台横は前方に、中央では斜めに交差する歩き方をする。
鼓は太夫の右足、左足どちらでもことばの調子によってなるので、足拍子の左右は一定でない。途中で「
打切り」と呼ぶ、掛声と鼓が連続する箇所があり、その時太夫は足拍子を止め、後すざりで出発時の定位置に帰る。この打切りでの太夫の位置は一定しておらず、どの場所からでも帰ることになっている。
又前を向き朗吟が始まり太夫が前進し、二度目は最初と反対に左にあれ、上手後方角に向い斜形にめぐる。このような足拍子を繰り返し、ツメの終る直前の一節位のところで後すざりで定位置にかえる。
太夫が方向をかえる時の曲り方は、まず前進して曲る方の足が前に出てから(右に方向変換の時は右足先)、後足を横に振る。ここで半転換され、さらに、前足を進行方向にむける。全転換がなされ前進してゆく。こゝの足の運びは鼓にあわせながら、すばやく又スムーズに行なわなけれならず、練習を要するところである。
ツメは舞の中では動きがあり、テンポがやゝ早く最も盛りあがる部分となっている。鼓と掛声、足拍子が調子よく続き、観客も心をあどらせて聞き入るクライマックスの場面である。舞の大部分がツメで終了するように構成されており、終了の一節前でツメのテンポがフシに変りやゝスローになるので、この時太夫は扇をとじながら後すざりで定位置に帰り、他の舞方も扇をとじ、構えで終演を待つ。
次回は敦盛を紹介します。
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