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2014筑後川下流の「デ・レーケ導流堤」(大川市の歴史)
筑後川下流の「デ・レーケ導流堤」(大川市の歴史)
   

「おおかわの歴史(平成23年発行)より。

写真は平成26年2月16日・「柳川郷土研究会公開歴史講座」の「筑後川 デ・レーケ導流堤について」資料及び講師:NPO法人「大川未来塾」 本間 雄治氏スライドより借用しています。

最近、貴重な写真が100枚ほど発見されたものをスライドで紹介されました。

昨年から佐賀市川副町の「佐野常民記念館」を見学した後、大川市歴史講座で川副町の大詫間を見学したり、筑後川の歴史から明治時代の若津港の繁栄が浮かび上がり、分かり易くまとめました。

「デ・レーケ導流堤」

若津港は河口につくられた河川港で、土砂が河口に堆積したことや、船舶が大型化したことで、船舶の運航に支障をきたすようになりました。

政府はオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケを派遣し、筑後川を調査させました。デ・ケーレは何度も現地を視察し、日本人技師者にアドバイスをしました。

筑後川改修の立案と設計は石黒五十二(いしぐろ・いそじ)を中心に、日本人の技術者がデ・レーケの指導のもとに担当しました。

このようにして、明治23(1890)年に完成した若津港導流堤は、現在にいたるまで、船舶の航路を確保するための港湾施設として機能しています。

平成20(2008)年度「選奨土木遺産」に認定されました。

筑後川下流の様子(江戸時代~明治時代~現在)

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筑後川改修計画(明治19年)

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改修図(明治36年)

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導流堤の構造

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粗朶工(そだこう)

粗朶(そだ)とは、クヌギや樫などの木の枝のことで、木の枝を束ねて、格子状に組み、その中に石を詰めて沈めます。川の流れのゆるやかな箇所の護岸や、水制の根固め(基礎部分)等に用いられます。明治の初めに招聘されたオランダ人技師の伝授によるものと言われています。

川に造られた工作物が沈んだり、流されないようにする機能を持っています。また、河川護岸の土砂流出の防止としても使用されます。

導流堤(干潮時と満潮時)  干潮時の4時間しか見えません。

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川中の導流堤

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導流堤

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導流堤の起点と終点

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ヨハネス・デ・レーケ  1842年生まれ。

2014筑後川下流の「デ・レーケ導流堤」(大川市の歴史)_a0137997_19362884.jpg明治政府は日本の近代化にあたって教育、医学、法律、土木などの各分野の専門家およそ1300人を欧米から雇い入れました。このような外国人を「お雇い外国人」と呼んでいました。

特に河川の改修など治水と築港については、オランダから雇い入れました。

ヨハネス・デ・レーケはオランダ技術者です。彼は明治6(1873)年、日本に来て、30年間、淀川の改修、木曽川の分流化(愛知・岐阜・三重県)、筑後川の改修などの河川の改修や大阪港、三国港(福井県)、三池港の築港など多くの土木事業に携わりました。

筑後川には明治16年(筑後川の上流から下流へ)と17年(筑後川下流と三池港)の視察に訪れている。

明治23(1880)年、導流堤が完成する。

石黒五十二(いしぐろ・いそじ)  1855年6月10日~1922年1月14日

2014筑後川下流の「デ・レーケ導流堤」(大川市の歴史)_a0137997_1949269.jpg明治11(1878)年、東大土木卒。神奈川県に入り明治12(1879)年に退職。

英国の会社に入社。英、仏、エジプトで実務に従事し、明治16(1883)年に帰国後、内務省に入省。東大講師を兼任(衛生工学)。明治30(1897)年に土木監督署技監、明治31(1898)年に海軍技監。初代海軍工務監に就任。明治39(1906)年に退官。明治40(1907)年に貴族院議員。

三池築港の指導や直轄河川工事、軍港・港湾整備、水力電気等に従事する。

筑後川には、明治17年に久留米の第六区土木監督署に赴任し、河川改修の設計を行う。

続きます。





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by kusennjyu | 2014-02-19 04:44 | 歴史学習会
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